奇跡について
おひさしぶりです。
もうかれこれ半月以上書いてなかったんだな。
なにもなかったから書かなかったんじゃなくて、色々ありすぎて書けなかったのです。主に、心の中の出来事として。そちらのほうは例によって置いといて、と。
大きな出来事はふたつありました。ひとつは、クルマが変わったこと。
中古で買ってから、かれこれ5年頑張ってくれたワゴンR。自分なりに大事にしてたけど、オルタネーターかどこかのベアリングがイカれたらしくて、エンジンから異音が鳴り始めたのが去年の夏。
直そうかどうか迷っていたんだけど、ひょんなことから新車を買うことになった。
今度はスズキのアルトラパンLCです。もう、めちゃくちゃ可愛いです。五十半ばのオッサンが、こんなの乗って喜んでいるのが気持ち悪いのは重々承知しています。
でも、可愛い。
僕が思うに、クルマと人間は可愛いが正義なのだ。
エンジンを切って降りる時、毎回メーターに向かって「see you!」って言い返してます(こどもみたいだけれど、アルトラパンが挨拶してくるのでつい返してしまうのだ)。
気持ち悪いついでに言っておくが、僕はラパンLCのことを「ラパンちゃん」、あるいは「LCちゃん」と呼んでいる。だから、朝は「おはようラパンちゃん」と実際に声に出して挨拶している。
二束三文の下取り予定だったワゴンRは、急遽息子が乗ることになって延命しました。来年の車検までかもしれないにせよ、まあそれもよかった。
さて、もうひとつの出来事。
それは、ヨーガ講座が始まる少し前から始まった、身体の痛みについてだった。
6月1日に3回目のヨーガ講座があった。1回目、2回目と、一時は立ちあがることも出来ないほどの足腰の痛みが、徐々によくなっていった。
笑いヨーガのおかげである。
そして3回目の前日、ほとんど痛みがなくなっていた。
僕は喜んだ。やっと五体満足の身体で講座に参加できる、と。
ところが、である。
当日の朝、激痛で目が覚めた。最初、どこが痛いのかわからなかった。息をするたびに痛い。
ようやく、それが背中からくる痛みだと理解した。激しい筋違いのような痛みだ。
「ね、寝違えた・・・⁈」
どうして・・・。僕は暗澹とした気持ちになった。なぜヨーガの邪魔をするような痛みが、次から次へ襲ってくるのか。
動くたびに激痛に呻きながら、僕はコーヒーを淹れ、顔を洗い、着替えをし、イシャ・クリヤをしてマントラを唱えた。
結局、いつもと同じことをすべてやった。情けない声をあげながら。瞑想の時だけ痛みを忘れた。座っている姿勢なら痛みを感じなかった。
出かける時間が迫ってきた。僕は一瞬、行くのを断念しようかと思った。オンラインでしのごうか、と。
しかし、思い直した。
聖書にこう書いてある。
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(コリント人への第二の手紙12:9)
なぜヨーガで聖書なのかよくわからないが、なにせもとクリスチャンなのだからしょうがない。
僕は「絶対積極」の言葉を思い出し、よろよろとクルマに向かった。
そうだ、ウチの子になったばかりの、ラパンちゃんが待っているのだ。
長くなったので今日はここまで。
これから4回目の講座にいってきます。