4ヶ月ぶりの投稿、そしてカーリー来札について
ひさしぶりだニャ〜〜。
4ヶ月以上、なにも書いてなかったんだニャ〜〜。
と、ついニャー語になってしまったんだけど、とりあえず。
今、朝日が部屋を照らし始めました。
お勤めは、ガヤトリーとガネーシャとシヴァのマントラを終わったところ。
なぜこんなに長いことブログを更新しなかったのか。
それは、ヨーガを学んでたから、なんだな。
そもそもこのブログ、さあこれからヨーガを学ぶぞ、という高揚感で始めたんだな。
でも、いざヨーガを学び始めるとなにも書けなくなっちゃったの。
インプットとそれを受け取った自分の変化が激しすぎて「現時点」でなにか言う、ということが出来なくなっちゃったんだな。
これは講座終わるまでなにも言えねえぞ、いや終わってもなにも言えないかもな。
そんな気分だったのです。
さて、さてさてさて。
先日カーリーが札幌に来たんだな。
カーリーは青森からオンラインで参加してるヨーガ講座のいわば同級生で「カーリー」はヨーガ・ネーム。もちろん、あのカーリー女神が由来。
どんな恐ろしげな人よ、と思いきや実物と会ってみると可憐な少女そのもの(見た目は。それから年齢は気にならない)。
でも、齢を伊達に重ねてない僕は知ってるんだな。「名は体をあらわす」ことを。
往々にしてキリッとした美人の女性は、中身がよく言えば「男前」悪く言えば「クソガキ」だったりするんだけど、カーリーは見事なまでに「男前」の「クソガキ」だったの(褒めてます)。
だから、僕の奥さんと3人で会ってるあいだずうっと抱腹絶倒して笑いっぱなしだった。
一緒にマジック・スパイスにスープ・カレーを食べに行ったんだけど、店に向かう車中から他ではちょっと聞けない話が出て、セッション受けたばかりのたけちゃん先生(そういう人がいるのです)を上手い具合に表現してて初手から大笑い。
3人で「たけちゃん先生凄いなあ〜〜」と感動してたのね。面倒くさいんで具体的なことは例によって割愛するけど。
マジスパのカレーも気に入ってくれてとても嬉しかったし、辛さ「天空」(上から2番目)を汗ひとつかかずに涼しげにするすると食べて「ちっとも辛くない」とのたまったのはさすがカーリー女神。
普段奥さんにしか言えない「ヨーガ・ギャグ」もばんばん飛び出して、とっても楽しかったなぁ。
「頭頂からプシュー!」とか「インド歌謡風ガヤトリー・マントラ」とか。
そんな彼女が「ニャーナンダのブログ、大好きです」と言ってくれたんだな。
恥ずかしくも嬉しかった。
それでいそいそとこれを書いてるわけです。
青森に帰る前にマハヴィル(そういう人もいるのです)の占星術を受けると言うので、街まで送って路上で別れたんだけど、胸にぽっかり穴が空いたみたいでしばらくぼうっとしてた。
こんなことは3年前の「すっぴん!」公開放送で東京に行って以来だな。
ヨガシャラにヨーガを学びに集っている人々は、間違いなく前世からの縁があると信じてるんで、一瞬時空を超えて久しぶりに再会して、また別れたように感じたよ。
我々ヨギーの端くれは、根本でひとつなのを知ってるんで距離なんか関係ないのは理屈ではわかっているけどね。
やっぱり眼を瞑って瞑想しないとな。
さて、札幌に強烈なインパクトを残したカーリーと、これを実現してくれた神様に最大限の感謝をして、今日はこの辺で筆を置きます。
筆なんか持ってないけどニャ。
続・奇跡について
6月1日木曜日(仏滅)の朝10時前、僕はヨガシャラのスタジオにいた。
なんとかたどり着いたのだ。
ラパンちゃんを運転中、時々情けない悲鳴をあげていた。アクセルとブレーキを踏むたびに、背中に激痛が走るのだ。
でも、たどり着くことが出来た。
やれやれ。
講座の準備をしているはせぴょん先生に、僕は声をかけた。事情を説明し(ゆうべ寝違えた・背中がとても痛い・なので身体を使ったヨーガは遠慮させてほしい)、アーサナから逃れようとした。
前回、前々回と下半身の痛みをおして笑いヨーガをやったのだ。ここは3度目の正直、はせぴょん先生も優しく受け入れてくれるだろう。
ところが。
はせぴょん先生は眉間に皺を寄せ、額に暗い翳りを作りながらこう言ったのだ。
「身体を動かさないのもかえってよくないな」
普段笑っている人が、眉間に皺を寄せると凄味が通常の3倍になる。それが美人だとなおさらである。
「はい、やります」
くそ、ここは虎の穴かよ・・・。そう思いながら、僕はニコニコして言った。
やれやれ、やるしかない。
講座は順調に進み、身体を使うヨーガの時間になった。僕は意を決して立ち上がった。
立ちあがるだけで痛かった。
まずは太陽礼拝。
痛みを我慢し、声を出さないように下腹に力を入れ、僕は身体を動かした。
出来る・・・、太陽礼拝なら出来る!
僕の心は歓喜に踊った。
ところが、地獄はここからだったのだ。
太陽礼拝が終わってほっとした束の間、次の動きが始まったのだ。
たしかシバのなんとか、と言っていた(憶えていない)。
太陽礼拝など比べものにならないぐらい、それは過酷を極めた。
ひねったり、ねじったり、伸ばしたり、そのまま静止したり・・・。
僕は何度もやめてしまいたくなった。それでも、なんとかついていった。いや、ついていこうとした。僕の身体はぷるぷる震えていた。僕はくずれ落ちそうになった。
その時、はせぴょん先生が僕を見ていることに気づいた。アーサナのポーズをとりながら、たしかに僕を見ている。
そしてその眼は、驚いたことに慈愛に満ちていた(ように見えた)。
「大丈夫? ついてこれてる? 頑張るのよ」
その眼は、そう言っていた(ように思った)。
暖かい励ましの眼差しは、人に勇気を与えるものだ。それが美人ならなおさらである。
僕は力が湧き上がるのを感じた。
プラーナ? これがプラーナ・・・⁈
(違うと思います)
僕は水中で息を吹き返したコナンのように(未来少年コナン参照)、残りのプラクティスをやりきった。
(閑話休題)
宮崎駿じつはヨギー説、というのがある。
誰が言ってるかというと、僕が言っているのだ。
ヨーガの視点から氏の作品を見てみると、じつに興味深い。特に「風の谷のナウシカ」の原作漫画は、そのままヨギーと思わしき人物が登場する。森の人、セルムだ。
彼の導きによって、心の中の森を旅したナウシカは、ついに清浄の地(彼岸)へと至る。
宮崎駿氏はたぶん、絵コンテを描きながら「めんどくさい、ああめんどくさい」とマントラを唱え、じつは瞑想しているのだと、僕は信じている。
ちなみに「崖の上のポニョ」に出てくる、ポニョの妹たちが群れになって泳ぐシーンは、僕にプラーナの流れを想起させる。
6月1日の講座が終わった。
笑いヨーガもこなし、我々は帰途についた。
気がつけば、どこも痛くない。身体が軽い。
奇跡が、起きていた。長いあいだ僕を苦しめていた痛みが、どこを探してもなかった。
そうか・・・。
はせぴょん先生は知っていたのだ。
ヨーガの奇跡の事を。
だから強いて、僕にアーサナをやらせたのだ。
僕はヨーガに感謝し、はせぴょん先生に感謝し、そしてこの世界に感謝した。
この世界は、奇跡の積み重ねで出来ているのだ。
奇跡について
おひさしぶりです。
もうかれこれ半月以上書いてなかったんだな。
なにもなかったから書かなかったんじゃなくて、色々ありすぎて書けなかったのです。主に、心の中の出来事として。そちらのほうは例によって置いといて、と。
大きな出来事はふたつありました。ひとつは、クルマが変わったこと。
中古で買ってから、かれこれ5年頑張ってくれたワゴンR。自分なりに大事にしてたけど、オルタネーターかどこかのベアリングがイカれたらしくて、エンジンから異音が鳴り始めたのが去年の夏。
直そうかどうか迷っていたんだけど、ひょんなことから新車を買うことになった。
今度はスズキのアルトラパンLCです。もう、めちゃくちゃ可愛いです。五十半ばのオッサンが、こんなの乗って喜んでいるのが気持ち悪いのは重々承知しています。
でも、可愛い。
僕が思うに、クルマと人間は可愛いが正義なのだ。
エンジンを切って降りる時、毎回メーターに向かって「see you!」って言い返してます(こどもみたいだけれど、アルトラパンが挨拶してくるのでつい返してしまうのだ)。
気持ち悪いついでに言っておくが、僕はラパンLCのことを「ラパンちゃん」、あるいは「LCちゃん」と呼んでいる。だから、朝は「おはようラパンちゃん」と実際に声に出して挨拶している。
二束三文の下取り予定だったワゴンRは、急遽息子が乗ることになって延命しました。来年の車検までかもしれないにせよ、まあそれもよかった。
さて、もうひとつの出来事。
それは、ヨーガ講座が始まる少し前から始まった、身体の痛みについてだった。
6月1日に3回目のヨーガ講座があった。1回目、2回目と、一時は立ちあがることも出来ないほどの足腰の痛みが、徐々によくなっていった。
笑いヨーガのおかげである。
そして3回目の前日、ほとんど痛みがなくなっていた。
僕は喜んだ。やっと五体満足の身体で講座に参加できる、と。
ところが、である。
当日の朝、激痛で目が覚めた。最初、どこが痛いのかわからなかった。息をするたびに痛い。
ようやく、それが背中からくる痛みだと理解した。激しい筋違いのような痛みだ。
「ね、寝違えた・・・⁈」
どうして・・・。僕は暗澹とした気持ちになった。なぜヨーガの邪魔をするような痛みが、次から次へ襲ってくるのか。
動くたびに激痛に呻きながら、僕はコーヒーを淹れ、顔を洗い、着替えをし、イシャ・クリヤをしてマントラを唱えた。
結局、いつもと同じことをすべてやった。情けない声をあげながら。瞑想の時だけ痛みを忘れた。座っている姿勢なら痛みを感じなかった。
出かける時間が迫ってきた。僕は一瞬、行くのを断念しようかと思った。オンラインでしのごうか、と。
しかし、思い直した。
聖書にこう書いてある。
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(コリント人への第二の手紙12:9)
なぜヨーガで聖書なのかよくわからないが、なにせもとクリスチャンなのだからしょうがない。
僕は「絶対積極」の言葉を思い出し、よろよろとクルマに向かった。
そうだ、ウチの子になったばかりの、ラパンちゃんが待っているのだ。
長くなったので今日はここまで。
これから4回目の講座にいってきます。
藻岩山麓通り号泣ドライブについて
2023年2月2日、藻岩山麓通り。
僕は愛車ワゴンRを駆りながら、号泣していた。
なにがあったのか。
奥さんに怒られて逃げ出したわけではない。
我と我が身を振り返って、あまりの幸の薄さに悲しくなったわけでもない。
ましてその前の夜に、「もうやめにしましょう」という台詞を残して、愛人が去っていったわけでもない。
いったい、なにが54歳のいい歳をしたオッサンを号泣せしめたのか。それも、70000キロを超えんとする4代目ワゴンRの運転席で。
状況としてあまりにシュール。昔のガロの漫画にでも出てきそうな絵面である。
引き金を引いたのは、レベッカのフレンズだった。
前日に引越しを終えた我々は、大量のゴミに圧倒されていた。引越し前にすべて出すことが出来ず、しかも直前までゴミは増え続けた。正規の荷物より、ゴミのほうが多いのではないかと疑ったほどだ。
我々は、ゴミと暮らしていたのだ。
この量では、ゴミの日が来てもゴミステーション(北海道ではゴミ置き場をこう呼ぶのです)に一度に出すことが出来ず、いつまでたっても無くならない。
そこで、札幌市の清掃工場に持ち込むことにした。
引越しで酷使された老兵ワゴンRちゃんの座席を倒し、ゴミを満載にして発寒に向かった。
外は雪景色。陽射しが眩しかった。
僕はAMが死んでから、普段は滅多につけないラジオのスイッチを入れた。NHKのFM放送の午後の番組だった。80年代の日本のポップスを次から次へと流していた。
そして、レベッカのフレンズがかかった。僕が高校生だった頃のヒット曲だ。
その曲は、その頃つきあっていた女の子を必然的に思い起こさせた。彼女がレベッカを好きだったわけではない。マドンナのファンである彼女は、レベッカのある曲がマドンナのパクリだとよく批判していたのだ。
いい曲じゃないか。
僕はそう思った。そして当時の僕や彼女のことを思い出していた。
あの頃はみんなまだ幼くて、どんなに懸命に生きても、結局誰かを傷つけ、そして自分を傷つけていた。そういう年齢だったのだ。誰が悪いわけじゃない。多かれ少なかれ、誰もが通過する道だったのだ。
僕はフレンズを聴きながら、思考が流れるにまかせた。そして・・・・・。
たぶんその時、無意識に僕がしたことは「ゆるし」だったと思う。僕は当時の幼かった僕を許し、彼女を許し、取り巻いていた状況を許した。
それはほんの一瞬だった。
気がつけば、僕は声をあげずに号泣していた。なにかのタガが外れたように、涙がぼろぼろと溢れてくる。
「いったいどうしたんだ?」
理由がわからなかった。
ちょっと説明しづらいが、若い頃の自分を許したことに感動していたわけではないのだ。まして昔を懐かしんでいたわけでもない。
それらは、引き金にすぎなかったのだ。
涙は、ハクにもらったおにぎりを食べる千のようにぼろぼろと溢れた。
やがて僕は、いくつかのことに思いあたった。
少し前に読んだ、サドグルの「インナー・エンジニアリング」。そこには若いサドグルが初めてサマディに入った時のことが書かれていた。気がつけば、彼は大量の涙を流していた。彼は何時間もの間、丘の上に座り続けていた。時間の感覚もなしに。
もうひとつは、クリスチャンならこれを「聖霊に触れられた」と言うだろう、ということ。僕も経験があった。初めて異言が出た夜は、涙をとめることが出来なかった。
もうひとつは、キリスト教徒をやめたあと、世界とひとつになった感覚に包まれた日のこと。その感覚に包まれた時にわかったのは、「もともと世界と我々はひとつで、それを忘れているだけだ」ということだった。
しかしその日のそれは、そのどれをも凌駕していた。
大丈夫、サマディに入ったわけじゃない。その証拠に運転しているじゃないか。
そう、意識は冷静そのものだった。
やがて清掃工場に着いた。工場に入る前に、僕は涙を拭いて鼻をかむ必要があった。
大量のゴミを降ろし、料金を払って礼を言い、ひとりになるとまた涙が溢れてきた。
まるでなにかに包まれているようだ。
それはけっして見えないけれど、明るく春のせせらぎのようにキラキラと輝いて、無言で僕を励ましていた。すべてを受けいれ、すべてを肯定していた。そこには善も悪もなかった。目に見えない光だけがあった。
僕は引っ越したばかりのアパート目指して、藻岩山麓通りを南へと走った。走っている間、涙は溢れつづけた。
家に帰っても、容易にそれはとまらなかった。
今はあの日のことを、僕なりに受けとめています。でも、それはまだ容易に解釈したり、言葉に直せないものなのです。
でも、これだけは言えると思う。
あの日の出来事は、今でも僕の胸のうちを、静かに暖め続けてくれているのです。
リハビリとしての笑いヨーガについて
5月25日はヨガシャラのヨーガ講座2回目だった。
1回目の講座で初めて笑いヨーガをやって、とても痛かった、という話は過去に書いた。
まだ回復しきっていない僕の筋肉(主に下半身の)にとって、笑いヨーガは強烈なリハビリだった。というか、そう思い込むことにした。
その甲斐あって、翌日悪化することなく、徐々に回復しているようだった。しかし、その回復のペースは遅く、まるでミシシッピアカミミガメが札幌から稚内目指して行進しているのを眺めているようだった。
当日の朝、先週と同じ駐車場からヨガシャラまで歩く。
狸小路4丁目の横断歩道前で前回はしゃがみこんでしまったが、今回は問題なく歩くことが出来た。
痛みが無いわけではないが、ミシシッピアカミミガメは着実に稚内を目指していたようだ。
たか先生による瞑想の講義のあいだ、僕は安心して座っていた。
大丈夫だ、座っているだけなら問題ない。それに、今日は笑いヨーガはないかもしれない。もしあっても、事情を話して逃げ出せばいい。
そんなことを考えていたら、それは突然やってきた。
「太陽礼拝」である。
ああ、憧れの太陽礼拝・・・。
これをやっているだけでヨガやってる人に見えてしまう太陽礼拝・・・。
太陽礼拝は全身を使ったヨーガだ。一瞬辞退しようかと思ったが、ヨーガへの憧れがそれを掻き消した。
「やらなければ。そうだ、やらねばならぬ」
ただでさえ身体が硬いうえに筋肉痛。動かない身体に鞭打って、なんとかそれに近い動きをする。
はたで見てたらそれは、怪我をした尺取り虫が地面を這っているように見えただろう。
でも、なんとかクリアした。出来はともかく。
ほっと胸を撫でおろした僕は、めぐみ先生に訊いてみた。
「今日は笑いヨーガはやらないんですか?」
一応ではあるが、太陽礼拝をやりきった自信があった。笑いヨーガぐらい今日はチョロいぜ、という不遜な気持ちがまったく無かったとはいえない。
しかし相手はめぐみ先生である。めぐみ先生は、
「やれと言われればいつでもやりますよぉ〜〜」とにこりともせずに言った。
こ・・・怖い。
普段笑っている人が、真顔でなにかいう時は、内容とは関係なく凄味が出るものだ。とくに、美しい女性だとなおさらである。
僕は質問したことを後悔した。
その日は、短い時間だが初めて瞑想を実践したり(終了のアラームにびっくりして跳びあがりそうになったり)、充実した楽しい時間が流れた。
そして、笑いヨーガの時間がやってきた。
笑っていた。やはりめぐみ先生は最初から笑っていた。
「先週の俺とは違う。さあ、かかって来い」
僕はプラーナを第2チャクラに集め(たつもりになって)、笑いのための呼気を吸いこんだ。
スキップして周りながら、
「あーはっはっはっは」《この部分、以降は(以下略)とさせていただきます》
ウォーキングしながら(以下略)、
ゴリラになって(以下略)、
重量挙げをしながら(以下略)・・・・・。
あとは憶えてない。いったい誰が考えたんだ。そう思ったことだけぼんやり憶えている。
終わった時、僕は立っているのがやっとだった。
太陽礼拝の10倍ハードだった。
全身に心地よい痛み、もとい火照りを感じながら、僕はヨガマットの上にへたりこんだ。
さて、つつがなく2日目が終了して街に出た時、僕は全身の軽さに気がついた。
スタスタ歩いているのだ。
気持ちも高揚して、清々しい風に吹かれているようだ。
凄いぞ、笑いヨーガ。リハビリの効果抜群ではないか。笑いヨーガ万歳!!
僕とサリー(奥さんのヨガネーム)はニコニコしながら、ザジ(僕の隠れ家的カフェ)で冷たい飲み物を飲み、家路についたのだった。
翌日、はりきり過ぎた僕に新たな筋肉痛が襲ってきたことは、内緒にしておく。
カルマとダルマについて
https://twitter.com/sx4scrossnya/status/1660761720934244353?s=46&t=5CTCaV4HncsHk7jHBWeiLA
上に貼ったけれど、今朝のツイッターの格言に「カルマ落としはダルマ落としニャ」と書いたんだけど、インスピレーションだと信じたい。
カルマは「行為」という意味があるらしいけれど、一般的にはその行為による「結果」を指すことが多い。
たとえば、誰かを殴ったら殴り返された、とかね。
つまり過去の自分の行いが、現在の出来事に結果として現れるのがカルマと言われることが多い。
ヨーガの世界観は、生まれてから今までだけが過去ではなく、数えきれないほど転生してきた過去も含めて「過去」だとされている。
もしそうならば、自分がどんなカルマを持って生まれてきたかなんてわかりっこない。
ただただ、今の人生でカルマを解消していくしかないんだな。
よい思いと行ないにひたすら打ち込んで、悪いカルマをひとつひとつ解消できればいいけれど、よほどの聖人君子じゃないと無理だと思う。
でも、安心してください。
厳しい修行に励まなくても、僕を含めた普通の人々にもカルマの解消は出来ます。それは、
「ひどい目にあう」
ことです。これしかありません(個人の見解です)。
どんなによい人でも、病気になったり、仕事を無くしたり、奥さんが男と逃げたり、最愛の猫と死別したり、身体が痛いのに笑いヨーガをやらされたり(これはやったほうが悪いです。やらされたわけではありません)、人生には色々辛いことが起こるよね。
たとえヨーガの教えと出会って、真理に目覚めて心を整えて生きていても、お釈迦様のようにはなかなか生きられません。
大きな悟りを得てないかぎりね。
だから、日々なんらかの小さなトラブル(あるいは大きなトラブル)とつきあいながら生きている。
そこで、せめて僕はこう考えるようにしている。
なにか悪いことがあったら、「ああ、これでカルマがひとつ落ちた」と。
なんのカルマかは知らんけど。
でも、悪いカルマが落ちる時って衝撃があるんだよね。多くの場合、それは不幸な出来事として現れるんだけど。
もしその時に、必要以上に悲嘆に暮れたり、怒りにまかせてなにかしでかしたりすると、新しいカルマを作っちゃうことになる。
だから「ダルマ落とし」だと思って、じっと耐えるのです。ダルマさんが転ばないように、背筋をまっすぐにして衝撃に耐えるのです。
ダルマを「本当の自分」だと思って。
苦しい時は苦しいって言ってもいい。
悲しい時は泣いたっていい。
痛い時は悲鳴をあげたっていい。
でも、自分を転ばさないこと。心を濁らさないこと。誰かのせいにしないこと。
人生で起こることは、すべて自分が受けとめる覚悟で生きてゆくこと。
個人的に、子供の頃からの出来事を振り返ると、どうも僕はカルマをたくさん抱えて生まれてきたらしいのです。いつものように、詳細は割愛しますが。
ありがたいことにヨーガと出会って、学びの機会に恵まれている。だったらなおさら悪いことが起きても、これは「試験」だぐらいに思わないとね。
最後までダルマ落としを上手に出来たら、ダルマさんが地面に座って悟っちゃうかもしれないしね。
そういえば、達磨太子と違う「ダルマ」は、「調和」という意味だったなぁ。
よいことも、悪いことも、わけへだてなく受け入れて、調和を目指して生きていこう。
そんなふうに思う、今日この頃なのであった。
激痛の笑いヨーガについて
5月18日木曜日午前9時40分、狸小路4丁目のかどで、僕はしゃがみこんでいた。
「完全には回復してなかったか。でも、行かなきゃ・・・」
脚全体に痛みが走った。しかし、昨日に比べるとはるかにマシだ。
そう、たんぱく質不足によると思われる筋肉の痛みは、ヨガシャラのヨーガ講座第1日目の前日がピークだった。
しかし当日の午前2時に目が覚めると、痛みは軽くなっていた。さらに、夜明けにかけてお勤め(イシャ・クリヤ2回、ガヤトリー・マントラ108回)しているうちに、あら不思議。痛みがなくなっていったのだ。
奇跡だ。僕はそう思った。思ったのだが・・・。
駐車場からわずか3ブロック歩いているうちにに電池が切れた。ヨガシャラのあるビルにはたどり着いている。あとひと息・・・。
僕は這うようにしてエレベーターまで歩いていった。
なんてね、いかにも自分は艱難辛苦に呻きながらヨガシャラにたどり着いたように書いちゃったけどさ、はたで見てたら笑っちゃうよ。五十過ぎのおっさんが腰を屈めて都会のビル街をよろよろしてんだから。
結論から言うとね、たどり着いたらなんてことはなかったんだ。初日は座学で座りっぱなしだし、痛みは嘘のように引いていったし。
ただし、「笑いヨーガ」が始まるまでは。
午前中は講座を受ける心構えを中心に、たか先生の話しをみっちりと聞いた。
熱のこもった、楽しい時間が過ぎていった。
そして昼休みには禁煙地帯を抜け出すべく、西に向かった。
この辺が高校生の頃から変わんないんだよね。暇ができたらモクをひける隠れ家を探してるの。キリスト教徒時代も肩身が狭かったなぁ。
ところが嬉しいことに、一丁歩くだけで「ザジ」が健在なことを発見。この店、初めて入ったの37年前なんだぜ。昭和のあの頃のまま、なにも変わってない。アイスアーモンドオレを飲みつつ、安らかに一服タイム。
午後もなごやかに、しかし濃密に時は流れた。床の上で自由な姿勢をとれるので、朝あんなに痛かったことはケロッと忘れることが出来た。
そう、残り一時間を切ってめぐみ先生が登場するまでは。
午後4時過ぎ、たか先生が笑いヨーガをやりましょうと高らかに宣言すると、めぐみ先生が登場した。
笑っていた。めぐみ先生は最初から笑っていた。
全員立つようにうながされ、笑いヨーガが始まった。
「あーはっはっはっはっは」
さまざまなバリエーションで身体を動かし、
「あーはっはっはっはっは」
飛んだり跳ねたり、
「あーはっはっはっはっは」
身体を思いっきり伸ばしたり、
「あーはっはっはっはっは」
ハイタッチしあったり、乾杯しあったり、
「あーはっはっはっはっは」
とにかく笑い続けるのだ。そのたびに全身に激痛が走った。
「しまった、あーはっはっはっはっは、こんなことなら先に言っとく、あーはっはっはっはっは、べきだった」
あとの祭である。
「ぎゃーはっはっはっはっぎゃは!」
激痛に涙を滲ませながら、僕は笑っていた。いつのまにか、心の底から笑っていた。
痛いのが可笑しくてたまらなくなっていたのだ。
「あーはっはっはっはっは・・・ギャッ、ハッ‼︎」
こうなったらヤケ糞・・・もとい、自我の殻がバリバリを音を立てて破れてゆくのを喜んで受け入れた・・・のだと思う。
こうして、第1日目がおごそかに幕を閉じたのであった。心地よい痛み・・・否、完全燃焼の心地よい火照りを残して。
ええと、終わってみたら笑いヨーガの記憶しかない。
恐るべし、笑いヨーガとそのスペシャリストめぐみ先生。
あ、ひとつ嬉しいことを思い出した。僕のヨガネームは、かねてからの希望通り「ニャーナンダ」に決まりました。
めでたし、めでたし。