続・奇跡について
6月1日木曜日(仏滅)の朝10時前、僕はヨガシャラのスタジオにいた。
なんとかたどり着いたのだ。
ラパンちゃんを運転中、時々情けない悲鳴をあげていた。アクセルとブレーキを踏むたびに、背中に激痛が走るのだ。
でも、たどり着くことが出来た。
やれやれ。
講座の準備をしているはせぴょん先生に、僕は声をかけた。事情を説明し(ゆうべ寝違えた・背中がとても痛い・なので身体を使ったヨーガは遠慮させてほしい)、アーサナから逃れようとした。
前回、前々回と下半身の痛みをおして笑いヨーガをやったのだ。ここは3度目の正直、はせぴょん先生も優しく受け入れてくれるだろう。
ところが。
はせぴょん先生は眉間に皺を寄せ、額に暗い翳りを作りながらこう言ったのだ。
「身体を動かさないのもかえってよくないな」
普段笑っている人が、眉間に皺を寄せると凄味が通常の3倍になる。それが美人だとなおさらである。
「はい、やります」
くそ、ここは虎の穴かよ・・・。そう思いながら、僕はニコニコして言った。
やれやれ、やるしかない。
講座は順調に進み、身体を使うヨーガの時間になった。僕は意を決して立ち上がった。
立ちあがるだけで痛かった。
まずは太陽礼拝。
痛みを我慢し、声を出さないように下腹に力を入れ、僕は身体を動かした。
出来る・・・、太陽礼拝なら出来る!
僕の心は歓喜に踊った。
ところが、地獄はここからだったのだ。
太陽礼拝が終わってほっとした束の間、次の動きが始まったのだ。
たしかシバのなんとか、と言っていた(憶えていない)。
太陽礼拝など比べものにならないぐらい、それは過酷を極めた。
ひねったり、ねじったり、伸ばしたり、そのまま静止したり・・・。
僕は何度もやめてしまいたくなった。それでも、なんとかついていった。いや、ついていこうとした。僕の身体はぷるぷる震えていた。僕はくずれ落ちそうになった。
その時、はせぴょん先生が僕を見ていることに気づいた。アーサナのポーズをとりながら、たしかに僕を見ている。
そしてその眼は、驚いたことに慈愛に満ちていた(ように見えた)。
「大丈夫? ついてこれてる? 頑張るのよ」
その眼は、そう言っていた(ように思った)。
暖かい励ましの眼差しは、人に勇気を与えるものだ。それが美人ならなおさらである。
僕は力が湧き上がるのを感じた。
プラーナ? これがプラーナ・・・⁈
(違うと思います)
僕は水中で息を吹き返したコナンのように(未来少年コナン参照)、残りのプラクティスをやりきった。
(閑話休題)
宮崎駿じつはヨギー説、というのがある。
誰が言ってるかというと、僕が言っているのだ。
ヨーガの視点から氏の作品を見てみると、じつに興味深い。特に「風の谷のナウシカ」の原作漫画は、そのままヨギーと思わしき人物が登場する。森の人、セルムだ。
彼の導きによって、心の中の森を旅したナウシカは、ついに清浄の地(彼岸)へと至る。
宮崎駿氏はたぶん、絵コンテを描きながら「めんどくさい、ああめんどくさい」とマントラを唱え、じつは瞑想しているのだと、僕は信じている。
ちなみに「崖の上のポニョ」に出てくる、ポニョの妹たちが群れになって泳ぐシーンは、僕にプラーナの流れを想起させる。
6月1日の講座が終わった。
笑いヨーガもこなし、我々は帰途についた。
気がつけば、どこも痛くない。身体が軽い。
奇跡が、起きていた。長いあいだ僕を苦しめていた痛みが、どこを探してもなかった。
そうか・・・。
はせぴょん先生は知っていたのだ。
ヨーガの奇跡の事を。
だから強いて、僕にアーサナをやらせたのだ。
僕はヨーガに感謝し、はせぴょん先生に感謝し、そしてこの世界に感謝した。
この世界は、奇跡の積み重ねで出来ているのだ。