激痛の笑いヨーガについて

 5月18日木曜日午前9時40分、狸小路4丁目のかどで、僕はしゃがみこんでいた。

 「完全には回復してなかったか。でも、行かなきゃ・・・」

 脚全体に痛みが走った。しかし、昨日に比べるとはるかにマシだ。

 そう、たんぱく質不足によると思われる筋肉の痛みは、ヨガシャラのヨーガ講座第1日目の前日がピークだった。

 しかし当日の午前2時に目が覚めると、痛みは軽くなっていた。さらに、夜明けにかけてお勤め(イシャ・クリヤ2回、ガヤトリー・マントラ108回)しているうちに、あら不思議。痛みがなくなっていったのだ。

 奇跡だ。僕はそう思った。思ったのだが・・・。

 駐車場からわずか3ブロック歩いているうちにに電池が切れた。ヨガシャラのあるビルにはたどり着いている。あとひと息・・・。

 僕は這うようにしてエレベーターまで歩いていった。

 なんてね、いかにも自分は艱難辛苦に呻きながらヨガシャラにたどり着いたように書いちゃったけどさ、はたで見てたら笑っちゃうよ。五十過ぎのおっさんが腰を屈めて都会のビル街をよろよろしてんだから。

 結論から言うとね、たどり着いたらなんてことはなかったんだ。初日は座学で座りっぱなしだし、痛みは嘘のように引いていったし。

 ただし、「笑いヨーガ」が始まるまでは。

 午前中は講座を受ける心構えを中心に、たか先生の話しをみっちりと聞いた。

 熱のこもった、楽しい時間が過ぎていった。

 そして昼休みには禁煙地帯を抜け出すべく、西に向かった。

 この辺が高校生の頃から変わんないんだよね。暇ができたらモクをひける隠れ家を探してるの。キリスト教徒時代も肩身が狭かったなぁ。

 ところが嬉しいことに、一丁歩くだけで「ザジ」が健在なことを発見。この店、初めて入ったの37年前なんだぜ。昭和のあの頃のまま、なにも変わってない。アイスアーモンドオレを飲みつつ、安らかに一服タイム。

 午後もなごやかに、しかし濃密に時は流れた。床の上で自由な姿勢をとれるので、朝あんなに痛かったことはケロッと忘れることが出来た。

 そう、残り一時間を切ってめぐみ先生が登場するまでは。

 午後4時過ぎ、たか先生が笑いヨーガをやりましょうと高らかに宣言すると、めぐみ先生が登場した。

 笑っていた。めぐみ先生は最初から笑っていた。

 全員立つようにうながされ、笑いヨーガが始まった。

 「あーはっはっはっはっは」

 さまざまなバリエーションで身体を動かし、

 「あーはっはっはっはっは」

 飛んだり跳ねたり、

 「あーはっはっはっはっは」

 身体を思いっきり伸ばしたり、

 「あーはっはっはっはっは」

 ハイタッチしあったり、乾杯しあったり、

 「あーはっはっはっはっは」

 とにかく笑い続けるのだ。そのたびに全身に激痛が走った。

 「しまった、あーはっはっはっはっは、こんなことなら先に言っとく、あーはっはっはっはっは、べきだった」

 あとの祭である。

 「ぎゃーはっはっはっはっぎゃは!」

 激痛に涙を滲ませながら、僕は笑っていた。いつのまにか、心の底から笑っていた。

 痛いのが可笑しくてたまらなくなっていたのだ。

 「あーはっはっはっはっは・・・ギャッ、ハッ‼︎」

 こうなったらヤケ糞・・・もとい、自我の殻がバリバリを音を立てて破れてゆくのを喜んで受け入れた・・・のだと思う。

 こうして、第1日目がおごそかに幕を閉じたのであった。心地よい痛み・・・否、完全燃焼の心地よい火照りを残して。

 ええと、終わってみたら笑いヨーガの記憶しかない。

 恐るべし、笑いヨーガとそのスペシャリストめぐみ先生。

 あ、ひとつ嬉しいことを思い出した。僕のヨガネームは、かねてからの希望通り「ニャーナンダ」に決まりました。

 めでたし、めでたし。