リハビリとしての笑いヨーガについて
5月25日はヨガシャラのヨーガ講座2回目だった。
1回目の講座で初めて笑いヨーガをやって、とても痛かった、という話は過去に書いた。
まだ回復しきっていない僕の筋肉(主に下半身の)にとって、笑いヨーガは強烈なリハビリだった。というか、そう思い込むことにした。
その甲斐あって、翌日悪化することなく、徐々に回復しているようだった。しかし、その回復のペースは遅く、まるでミシシッピアカミミガメが札幌から稚内目指して行進しているのを眺めているようだった。
当日の朝、先週と同じ駐車場からヨガシャラまで歩く。
狸小路4丁目の横断歩道前で前回はしゃがみこんでしまったが、今回は問題なく歩くことが出来た。
痛みが無いわけではないが、ミシシッピアカミミガメは着実に稚内を目指していたようだ。
たか先生による瞑想の講義のあいだ、僕は安心して座っていた。
大丈夫だ、座っているだけなら問題ない。それに、今日は笑いヨーガはないかもしれない。もしあっても、事情を話して逃げ出せばいい。
そんなことを考えていたら、それは突然やってきた。
「太陽礼拝」である。
ああ、憧れの太陽礼拝・・・。
これをやっているだけでヨガやってる人に見えてしまう太陽礼拝・・・。
太陽礼拝は全身を使ったヨーガだ。一瞬辞退しようかと思ったが、ヨーガへの憧れがそれを掻き消した。
「やらなければ。そうだ、やらねばならぬ」
ただでさえ身体が硬いうえに筋肉痛。動かない身体に鞭打って、なんとかそれに近い動きをする。
はたで見てたらそれは、怪我をした尺取り虫が地面を這っているように見えただろう。
でも、なんとかクリアした。出来はともかく。
ほっと胸を撫でおろした僕は、めぐみ先生に訊いてみた。
「今日は笑いヨーガはやらないんですか?」
一応ではあるが、太陽礼拝をやりきった自信があった。笑いヨーガぐらい今日はチョロいぜ、という不遜な気持ちがまったく無かったとはいえない。
しかし相手はめぐみ先生である。めぐみ先生は、
「やれと言われればいつでもやりますよぉ〜〜」とにこりともせずに言った。
こ・・・怖い。
普段笑っている人が、真顔でなにかいう時は、内容とは関係なく凄味が出るものだ。とくに、美しい女性だとなおさらである。
僕は質問したことを後悔した。
その日は、短い時間だが初めて瞑想を実践したり(終了のアラームにびっくりして跳びあがりそうになったり)、充実した楽しい時間が流れた。
そして、笑いヨーガの時間がやってきた。
笑っていた。やはりめぐみ先生は最初から笑っていた。
「先週の俺とは違う。さあ、かかって来い」
僕はプラーナを第2チャクラに集め(たつもりになって)、笑いのための呼気を吸いこんだ。
スキップして周りながら、
「あーはっはっはっは」《この部分、以降は(以下略)とさせていただきます》
ウォーキングしながら(以下略)、
ゴリラになって(以下略)、
重量挙げをしながら(以下略)・・・・・。
あとは憶えてない。いったい誰が考えたんだ。そう思ったことだけぼんやり憶えている。
終わった時、僕は立っているのがやっとだった。
太陽礼拝の10倍ハードだった。
全身に心地よい痛み、もとい火照りを感じながら、僕はヨガマットの上にへたりこんだ。
さて、つつがなく2日目が終了して街に出た時、僕は全身の軽さに気がついた。
スタスタ歩いているのだ。
気持ちも高揚して、清々しい風に吹かれているようだ。
凄いぞ、笑いヨーガ。リハビリの効果抜群ではないか。笑いヨーガ万歳!!
僕とサリー(奥さんのヨガネーム)はニコニコしながら、ザジ(僕の隠れ家的カフェ)で冷たい飲み物を飲み、家路についたのだった。
翌日、はりきり過ぎた僕に新たな筋肉痛が襲ってきたことは、内緒にしておく。