牛乳について

 たんぱく質摂取のために、牛乳を意識的に飲んでいる。

 あらためて、牛乳は美味しい。

 あまり美味しいので、昨日は朝1.5ℓ一気に飲んだ。すると激しくお腹が崩壊した。立ち直るのに半日要した。反省した。

 牛乳は、一度に1ℓまでにしよう。

 僕が生まれて初めて飲んだ牛乳は、酪農家から一升瓶に分けてもらった牛乳だった。普通に美味しいと思った。その牛乳の味があたりまえだと思っていた。それがとんでもない贅沢だと、あとで思い知ることになるのだけど。

 小学校にあがって給食の牛乳を飲んだ。十勝の山奥のその学校では、牛乳は瓶入りだった。酪農家からわけてもらった牛乳ほどではないが、まだ美味しい部類に入っていたと思う。

 その後転校して漁師町に住んだ。

 そこの学校の給食の牛乳が、本当に不味かった。

 瓶からプラスチックのテトラに変わった。お店では見たことのないパックだった。おそらく給食専用の牛乳だったと思う。

 味は水っぽく、苦かった。我慢して全部飲むと、なんとなく具合が悪くなった。

 不味いと感じているのは、農村から転校してきた僕だけだろうか? いや、先生に全部飲みなさいと言われた女の子が、ストローを咥えて涙を流していた。僕だけじゃない。

 こんな経験をしたので、瓶は美味しくパックは不味いという偏見をしばらく持っていた。

 たしか一年ぐらいで給食の牛乳が「よつば3.4牛乳(紙パック・テトラ)」に変わって、味で苦しまなくてよくなったのは幸いだった。さすがに教育委員会もあの牛乳は問題視したのだろう。

 しかし不味かったなぁ、あのプラ・テトラ牛乳。

 こうして、給食の牛乳も市販のものと変わらなくなったし、味にしたって「牛乳なんてこんなもの」というところに着地して、特に牛乳を意識せずにいつのまにか給食を卒業した。

 牛乳を飲むのも飲まないのも自由になってもう何十年も生きてきたけれど、今になって気になるのはあの酪農家の牛乳だ。

 一度母親がその牛乳でカスタード・クリームを作った。それがもう、なんとも言えない美味しさだった。お菓子屋さんのカスタード・クリームが物足りなく感じたほどだった。

 ついでに言えば、スーパーで売っている「イズヤのクリームパン」が食べられなくなった。

 昔の菓子パンのクリームのことは置いておいて(間違いなくバッタものだった)、お菓子屋さんのクリームより、母親のクリームのほうがが美味しかったのは、100%牛乳のせいだと思う。

 一升瓶をぶら下げて、牧舎に直接お邪魔して冷却タンクから詰めてもらう。たしか十円とか二十円しか要求されなかった憶えがある。昔のこととはいえ(1973年だったと思う)、超格安である。

 新鮮・搾りたて、ついでに言えば「無殺菌」である。わずか2秒間とはいえ、130度に加熱した市販の牛乳とは比べものにならないのだ。濃くて、甘くて、さっぱりしてて、とにかく美味しかった記憶がある。

 今、あの牛乳を飲んだらどう感じるだろう。やはりもの凄く美味しく感じるだろうか。

 それとも、あまり差を感じないだろうか。

 市販の牛乳はこの数十年、飛躍的に美味しくなったと思う。生乳の質、殺菌技術の向上などで僕が子供の頃に比べると雲泥の差、とまでは言わないけれど、確実に美味しくなっていると思う。

 でもしかし、やっぱり「新鮮・搾りたて・無殺菌」にはかなわないと思う。

 どこかでそんな牛乳が飲めないかなぁ。もちろん、「自己責任」で。

 ここは北海道、今年の夏は「牧場を巡る冒険」に出るのもいいかもしれない。

 

 

栄養失調について

 ◉牛乳1リットル(35g)

 ◉チーズ3切れ(9g)

 ◉黒豆の煮豆130g(13g)

 合計57g

  上に記したのは、僕が今朝起きてから摂取したものだ。括弧内と合計は、たんぱく質の値である。あと8gも摂取すれば、今日一日分の必要なたんぱく質を満たすことになる。

 でも、それは健康な状態の場合。

 今の僕は、不健康である。

 サドグルのイシャ・クリヤを実践したら突然痩せた、という話は以前書いた。

 ほとんどの贅肉がいっぺんになくなったのはよかったんだけど、そのタイミングで菜食にシフトしたのが、今回の災厄の原因だったらしい。

 まともに歩けなくなったのだ。

 最初は脚の組みすぎで股関節を傷めたのかと思った。歩くとお尻の筋肉に激痛が走った。

 それでもごまかしながら過ごしていたが、その痛みが太腿からふくらはぎまで拡がり、ついに歩行不能となった。

 一番辛いのは、背を伸ばせないことだ。無理に伸ばすと太腿とふくらはぎ、そしてお尻の筋肉にこむら返りを起こしたような激痛が走る。

 よって移動する時は腰を深く曲げ、ひょこひょこと歩くしかない。まるで働きづめに働いてきた農村の老婆である。

 昔はよく見られた田舎のお婆さんの姿は尊いけれど、僕のは尊くない。恥ずかしいだけである。

 ゴールデンウィーク中、僕はほとんど外に出ていない。

 しくしく。

 そんな中、お勤め中(我流瞑想&マントラ)に「栄養失調」という言葉が降ってきた。栄養失調⁇

 思い当たるのは、菜食の影響だった。

 僕は栄養失調、とくにたんぱく質について調べてみた。

 体重と筋肉の減少、倦怠感、腰痛などが症状としてあげられていた。

 腰痛・・・?

 もう少しつっこんで調べると、たったひとつだけ、こんな症状を見つけた。

 「全身が痛む」

 読んでみると、産後全身の痛みを訴えてきた女性の検査をすると、たんぱく質不足であることがわかり、医師がプロテインを飲むことをすすめると、症状は改善したとある。女性は子供を産んだあと、食事をうまく摂れなかったらしい。たんぱく質が不足すると、身体は筋肉を分解して他にまわすんだそうだ。急激にこれが起きると、全身が痛む。

 ああ、これだと思った。

 すでに書いたが、急激に痩せた直後に、もっとスピリチュアルになりたくて菜食に踏み切ったのだ。せめて脂肪があればまた違ったかもしれないが、後の祭りである。

 マジックスパイスのスープだけを例外として(チキンスープがベース)、肉・魚・卵・乳製品などの動物性たんぱく質を極力排した。

 でも、菜食に移行すると誰でもこうなるだろうか?

 そんなはずがない。もしそうならすべてのベジタリアンは栄養失調ということになる。

 僕個人になにか原因があるはずだ。僕個人の、特有の、なにか・・・。

 「あ」

 わかりました。とってもわかりやすいです。説得力抜群です。

 「酒と煙草」

 ついでに言えば、コーヒーかな。

 そう、僕は世界三大嗜好品である「酒」「煙草」「コーヒー」が大好きなのだ。昭和の世からこの三つの毒素にまみれて生きてきたのだ。

 はっきり言おう。僕は重度の依存症患者である。

 コーヒーはともかく、酒や煙草は色々な栄養素をぶっ壊す。菜食でたやすく栄養失調になっても不思議ではない。

 おうおう、よくそんな人間がヨーガやろうなんて思いつきやがったな。なにが瞑想でい、なにが菜食でい、とっととやめちまいな。

 こんな声が聞こえてきそうです。おっしゃる通りでございます。

 でも、やめません。

 それから、酒も煙草も(今のところ)。

 もしやめるべきなら、そのタイミングは向こうからやってくると思っているからです。

 ヨーガは、人が変わったからやるのではなくて、ヨーガを通して人は変わるのだと信じるからです。

 今は、身体を作り直すことに専念しているところ。肉を食べ、牛乳を飲み、もちろん馬のように野菜も食べて、修復中の筋肉の材料をできるだけ貯えてます。

 さて、今日はあと50gはたんぱく質を摂んなきゃな。

 なにで注入しよう。チーズ、豆腐、厚揚げ?

 そうだ、ひさしぶりにマジスパでチキンのレッグを食べようかな。

 ゴールデンウィーク最後の日曜日だもんね。

 

 

 

 

深煎り珈琲について

 1986年は、僕の嗜好を決定づける重要な年だったと思う。僕は17歳だった。

 そのひとつがコーヒーだった。

 クラス替えがあり、新しい友人が出来た。彼の名をH君としておく。

 H君は山とコーヒーが好きな男で、深煎りのコーヒーのよさは彼に教わった。

 H君は、ある日宮の森にあった「るびあ」に僕を連れてゆき、躊躇なくフレンチをふたつ注文した。

 真っ黒で、強烈な苦味しか感じない。それをブラックでなにかの儀式のように飲んだ。

 僕は苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。苦虫、というものを噛んだことはないが、るびあのフレンチの苦さはそれを凌駕していたと確信している。

 それから何度もるびあに行き、「これが美味しいのだ。これが本物なのだ」と自分に言い聞かせる修行が続いた。

 当時、バブル経済真っ只中の日本は、グルメブームにわいていた。

 「こだわり」「本物志向」などの言葉が流行っていた。コーヒー業界では、「炭焼き珈琲」なるものが流行していた(これは多くの人々の誤解を招いた)。

 そういえば、るびあの焙煎も「炭焼き」だった。

 慣れというものは恐ろしいもので、修行の甲斐があったのか、最初は苦味しか感じなかったフレンチ・コーヒーの奥深くに「甘味」を感じるようになった。こうなったらしめたもので、僕は色々な有名老舗珈琲店の深煎りコーヒーを飲んでまわるようになった。

 今思えば僕たちは生意気な高校生だった。「もう普通の喫茶店のコーヒーは飲めないね」などと吹聴したものだ。ごく控えめに言って、ただの糞ガキである。

 そんなわけで、今朝も飲んでいるコーヒーは宮越屋珈琲のフレンチである。

 H君とは、なにかのすれ違いが原因で口もきかなくなってしまったけれど、「深煎り珈琲入門修行」の入り口に連れていってくれたことを、今でも感謝している。

 それは17歳の僕にとって、大人になってゆくことのメタファーそのものだったから。

 生まれて初めての彼女が出来たのもこの年だった。

 37年間吸い続けた、マルボロを初めて吸ったのもこの年だった。

 マルボロといえば・・・。

 先日、いつもタバコをカートンで買うコンビニにゆくと、夜勤のK君がいつものようにマルボロのカートンを用意していた。

 ああ、タバコを変えてからK君に会うの初めてだもんな。

 数年前からマルボロの巻き紙の質が悪くなり、周辺を灰だらけにしてしまうので、あるきっかけからピース・ライトに変えて一週間ほどだった。さらば、マールボロ・カントリー。

 「え、タバコ変えたの?」と驚くK君に、頭の中で素早く計算し(54-17=37)、「37年ぶりに変えたんだよ。味がよく似てるし、日本製だし・・・」と言いわけするように言った。

 言って、愕然とした。

 37年・・・。

 僕が子供だった頃、戦争が終わってだいたいそれぐらいだった。

 あれからそんなに時間が流れたのか。

 あっという間に過ぎ去って、それでいてなかなか終わらない時間。

 今、それが終わったのかもしれない。

 さらば、うんざりするほど長く続いた薄明の時代。

 誰もが終わりを待ち望みながら、延長され引き伸ばされた夕暮れの時代。

 マルボロは、なにかの象徴のように僕から去っていった。

 今年は、時代が大きくうねるように変わってゆくのではないか。

 なんだかそんな気がするのです。

 

 

 

マントラの節回しについて

 去年の11月のはじめ頃からガヤトリー・マントラを108回、毎日唱えている。今のところ継続中である。我ながらすごいなぁ。

 ちなみについこの間まで、覚えているマントラはたった2種類だった。ガヤトリー・マントラとガネーシャマントラだけ。奥さんがラクシュミーの神様カードを買ってきたので、ラクシュミーマントラを覚えたのは先月だったっけ。それもなんだかなぁ。

 去年の夏ぐらいからヨガシャラのたかさんのYouTubeを熱心に見るようになって、「俺もヨガっぽいことやりたいなぁ」と思うようになった。

 たかさんがガヤトリー・マントラ108回唱える動画を見て、これだッと思った僕は、マントラの節回しを研究するために動画を色々と見てみることにした(なぜたかさんを参考にしないのか)。

 検索すると、一番上のほうに来るのがサイババなのね。しかも、数が多い。とりあえず、サイババの節回しを採用した。

 それで、最初のうちはサイババ調だったのだ。

 ひとり部屋にこもり、東を向いて脚を組んで座り、108個玉のついたルドラクシャ・マーラー(数珠)を握り、おずおずと唱えはじめたのだった。

 最初のうちは、よくつっかえたり間違えたりしていた。でも一週間もするとすっかり覚えて間違えなくなった。

 それより辛かったのは脚、それも膝でしたね。

 身体が硬いうえに脚を組み慣れてない僕は、108回唱え終えるとしばらく痛くて立ち上がれなかった。

 あと、ルドラクシャ・マーラーの扱いに慣れなくて、半分くらい唱えたところでうっかり取り落とし、泣く泣く初めからやり直しなんてこともあった。

 でもひと月もすれば慣れてきて、すっかりルーティン化してきた。

 マントラを唱えることを「お勤めする」なんて言うようになった(なんだか舐めてるなぁ)。

 サイババ調の節回しって、荘厳というかシリアスというか、まあ神聖な感じがするのね。だから、唱えてると神聖さを出さなきゃいけないって思っちゃうの。

 だから、きっと深刻な顔して唱えてたと思う。

 ところがある日、奥さんがあるガヤトリー・マントラの動画を発見してしまった。

 その動画は、頭が薄くなりかけたインド人のおっさん中心に、おばさんお姉さんお兄さんそれと子供たちが、集団でガヤトリー・マントラを延々と歌う、というものだった。

 凄かったのはメロディで、なんともお気楽なインド歌謡、という感じで、リズムもスッチャカスッチャカスッチャカと、聴いてると体が揺れてきそうになる。

 「これはなんだか凄いなぁ。これでサイババと同じマントラなんだもんなぁ」

 僕は感心するやら呆れるやら、さすがインドだなぁと無理矢理納得したのだった。

 さて、その日の「お勤め」の時間。

 厳かに座り目を瞑り、口をついて出てきたのは、あのインド歌謡ガヤトリー・マントラだった。

 うわッと僕はひっくり返り、急いでサイババ調を思い出すためにiPhoneのある居間へと走っていった。

 YouTubeサイババマントラを確認してふたたび始めても、スキをついて途中でインド歌謡ガヤトリーが出てきそうになる。

 そのたびにサイババの荘厳な調べを思い出し、なんとか軌道修正して・・・、を繰り返した。

 唱え終わるころには、へとへとに疲れてしまった。

 恐るべし、インド歌謡ガヤトリー。

 それは強力な感染力を持つウィルスのようなものだったのだ。

 それから我が家では、インド歌謡ガヤトリーの動画の再生と歌唱が禁止されたのだった。それは年内いっぱい続いた。

 今はどうかというと、時々クルマを運転しながらインド歌謡ガヤトリーを歌っています。だって、楽しいんだもん。

 なんだか楽しいほうがあってるのかなぁ・・・。

 

八雲町について

 去年の今頃、八雲町に行ったことを思い出していた。

 八雲町は道南にある町で、札幌からはかなり離れている。

 なぜ八雲町に行ったのかというと、ホ・オポノポノの平良アイリーンさんが講演を行うと知ったからだ。

 当時、我々はホ・オポノポノを実践し始めたばかりで、ホ・オポノポノの関係者(というか、第一人者)に直接会えるチャンスを、逃したくはなかったのだ。

 ホ・オポノポノは、とてもシンプルなスピリチュアルだ。

 人生のあらゆる問題は「過去の記憶(それはこの人生にとどまらない)の再生」が原因であるとし、過去の記憶をクリーニングする事が、最も大切なことであるという。

 クリーニングの方法もシンプルで、四つの言葉を唱えるだけだ。

 「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛してます」

 なんと、実践としてはこれだけなのだ。もちろん、ホ・オポノポノの独特な世界観はあるけれど。

 講演会は、ちょっと不思議な思い出になった。

 まず、会場が八雲の町からさらに内陸に入ったところで、山奥といってもいいところだった。

 公民館かなにかが会場かと思ったら、小さなカフェのような店だった。

 会場に着いて時間があったので、僕は山の上の神社にお参りした。

 そのあとクルマの中で待っていたら、平良アイリーンさんの姿が見えた。彼女はひとりで、僕がさっき行った神社に歩いて行った。

 講演については、ここでは特に書くことがない。初心者向けに、本を一冊読めばわかることが話されただけだから。

 アイリーンさんは、華奢でとても可憐な人だった。なんだか守ってあげたくなるような、そんな女性だった。

 講演が終わって、宿を取っている八雲の町にクルマを走らせている間、夕陽がとても美しかった。空気が透明で、風景がきらきらしていた。

 なんだか夢みたいだな、僕はそう思っていた。

 その後、ヨーガに引き寄せられるように惹かれて、ホ・オポノポノから離れていったけれど、それもホ・オポノポノのお陰だと僕は思っている。

 魑魅魍魎が蠢めくスピリチュアルの森を抜け出して、ヨーガへと特に怪我もなく辿り着くことが出来たのは、ホ・オポノポノのクリーニングが大きかったのではないか。

 実践していた期間は短かったけれど、ヨーガへと僕を導いたのはホ・オポノポノだったのだと、僕は思っている。

 そしてそのことを、僕なりに感謝している。

 あれから一年しか経っていないけれど、八雲町でアイリーンさんに会った日のことは、ずいぶん遠い思い出のように僕には感じられるのです。

 

 

宇宙語について

 スピリチュアルの森の中にいた数年前のこと。

 うちの奥さんが一冊の本を買ってきた。それは「宇宙語」についての本で、日本の女性が書いたものだった。出版元はヒカルランド(今だったら、うわ、ヒカルランドかよ、ってなります。よくも悪くも)。

 「これ、異言のことだと思う」と奥さんは言う。

 読んでみると、なるほど宇宙語とは「キリスト教抜き」の異言のことだ。

 自分でもなに言ってるかわからない、妙な発音の言葉、異言。それをその本では「宇宙語」と呼んでいる。

 「にしても、宇宙語ねぇ」と、僕は思った。

 あまりにも子供じみている、そう感じたからだ。

 その本によると、英語では「ライト・ランゲージ」、つまり光の言葉。無理矢理日本語におさめたら「光語」になるのかな。

 いまいちピンとこないけど、「宇宙語」よりはねぇ。

 まあとにかく、日本のスピリチュアル業界ではこの「宇宙語」を流行らせようとしているらしい。

 宇宙語を話しているのは、自分のハイヤーセルフだったり、ガイドだったりするらしい。時には神社なんかにいる霊的存在も(神様じゃないか)出てくるらしい。

 なんだか翻訳機能が壊れたチャネリングみたいだ。

 しかし、著者は宇宙語を話すのみならず、翻訳もする(まあそうじゃないと本にならないよなぁ)。

 キリスト教にも「異言の解き明かし」というのがある。誰かが話した異言の意味を解き明かす能力、いわば翻訳能力のことだ(僕にはない)。

 そうか、今や異言は宇宙語になっちゃったのか。なんだか威厳がないなぁ、と僕は思った。

 さて、前後関係は忘れたけど、その頃僕の異言を話す存在に名前をつけた。

 「イーライ・カメイ」。より正確に言えば「イーライ(仮名)」である。

 これはどういう由来があるかというと、ゲリー・ボーネルの自伝からパクったのです。

 ゲリー・ボーネルはアカシック・レコードにアクセス出来る人で、日本でもたくさん本を出している。

 その少年時代の自伝「新時代の叡智」の中で、体外離脱をするようになったゲリー少年は、ひとりの霊的存在と出会う。彼はゲリーの「ガイド」で、少年をアカシャ(日本語では虚空蔵)に導いてゆく。

 そのガイドの名が「イーライ」なのだ。

 イーライは、見た目は宇宙人だけど聡明で明るくて、ユーモアに溢れている。ゲリーの本に登場するキャラクターの中で、最も魅力的な存在だと思う。

 僕も奥さんも、この「イーライ」が大好きなのだった。

 ある時、僕の異言を語らせている存在の名前を知りたいと思った僕は、異言を語りながら心の中でこう訊いた。

 「すんません、お願いです。名前を教えてくださいませんか?」

 もちろん答えは返ってこない。ただ異言が続くだけだ。

 いや、本当は答えてくれているのかもしれないけれど、翻訳機が設定されていない僕にはわからない。

 その時、ふと思った。

 「この異言語っている人の雰囲気、イーライに似てるなぁ」

 異言を語っていると、心持ちが少し変化する。僕の場合、より明るくそしておおらかな心持ちになる。なんだかイーライみたいだ。

 というわけで、暫定ながら彼をイーライ(仮名)と呼ぶことにした。これには奥さんも賛成してくれた。

 当時、イーライ・カメイに語らせている時、僕は心の中で彼に語りかけたものだ。

 「ねえイーライ・カメイ、日本じゃあなたの話してる言葉を宇宙語っていうらしいよ。なんだか軽くて嫌だねぇ」

 しかしイーライ・カメイは、淡々と異言を繰り出すだけである。

 明るくておおらかで聡明な彼は、そんなこときっとどうでもいいと思っているに違いない。

 ところでこの異言、あるいは宇宙語は、ヨーガの世界には存在するのだろうか?

 いつかたか先生に訊いてみたいと思っている。

 

ルーティンについて

 今年の4月1日から、ツイッターで「ニャーの格言」を始めた。しかも、「一日一本でっちあげる」とぶちあげている。

 自ら退路を絶ったかのように見える。

 しかし、始めた日付けをよく見てほしい。そう、エイプリルフールである。僕はちゃんと保険をかけているのだ。

 白状しておこう。

 僕は卑怯者である。

 さて、それとは別に4月23日からこのブログを始めた。

 この日は一年で最も縁起のよい日、「アクシャヤトリティヤ」なのだそうだ。

 この日始めたことは必ずやり遂げられる、と言われているらしい。

 ほんとかよ、と思わないわけでもない。しかし、イワシの頭も信心から、と言うではないか。

 ブログはべつに毎日書こうとは思っていなかった。でも、格言に引きずられて毎日書いてしまっている。

 これは「奇跡」である。

 とは言っても、格言がたかだか32日、ブログはたった9日だけど。

 まあ、その程度で感心・感動してしまうぐらい僕は三日坊主だったのだ。

 まあいつまで続くかわからないけれど、出来るだけ頑張ってみるつもりです。

 僕にとって「格言」は、もはやルーティンになっている。なにせ「毎日」って書いちゃったもんなぁ。

 そもそも、なぜ格言なんて始めたかというと、もともと格言・名言のたぐいが苦手で(はっきり言えば嫌いで)、意味のない格言のようなものをでっちあげて遊ぶ「無意味格言遊び」が好きだったからだ。

 たとえば・・・、

 「真理とは、一週間は七日あることだ」

 とか、

 「実り多きものは頭を下げ、長靴下のピッピはおさげを下げる」

 とか、

 「昨日の今日は昨日で、明日の明日はあさってだ」

 とか、

 「毎日は、毎日やってくる」

 とかね。はあぁ〜〜、くだらない。

 だから、なんとかなるかなと思っちゃったんだな。

 あと、格言のコツみたいなものがあって、それは「意味ありげなことを、はっきり言い切ってしまう」

 ということ。本当に舐めてますね。

 真理に目覚めて悟ってるわけでもないのに、大変なこと始めちゃったかなぁ。

 まあいいや。

 さて、ルーティンについて。

 毎日続けるにあたって僕が意識していることは、「村上春樹方式」だ。

 村上春樹さんは小説の執筆にあたって「毎日10枚書く」というルールを定めているそうだ。どんなに調子が悪くても10枚書く。逆にどんなに調子がよくても10枚でやめる。これを毎日続けていけば、数年後には大長編小説が出来上がるのだそうだ。

 口で言うのは簡単だけど、なんだか凄いなぁ。

 で、僕も毎日一本格言をでっちあげる、と決めてやってます。

 出来が悪くてもなにか一本書く。出来がよくても(そんなのあったっけ?)一本でやめる。明日のぶんとか明後日のぶんとか書きだめはしない。その日その時にならないと、なにが出てくるかわかりません。

 これは言葉を変えて言うなら「品質軽視・実績重視」である。

 村上春樹さんは、調子の悪い時に書いたものをもちろん書き直すんだけど、僕のは書き直しがきかないんだな、ツイッターだから。

 でも、それでいいと思ってます。村上春樹さんはなんといってもプロの作家で、僕の格言なんてアマチュアの遊びなんだもの。

 ただし、「矜持なき遊びは風に舞うコンビニの袋のようなもの」と言うように(嘘です、誰も言ってません)、遊びといってもほんの少しは真剣さがあるのです。

 それはなぜかというと、僕はこれを自分を励ますためにやっているからです。

 そう、自分で自分を励ますのだ。

 品質はともかく、書けたじゃん、俺。

 とにかく公言は破ってない。偉いぞ、俺。

 まったく役に立たないとしても、なにもやってないわけじゃない。俺ってちゃんと行動してるじゃん。

 などと、自分を鼓舞するよすがにしているのです。

 なんだか目覚めの悪い一日の始まりは、とにかく歯ブラシを口につっこめるかどうかが勝負だと、僕は思ってる。内容はともかく、歯を磨いたぞ。顔も洗ったぞ、髭剃りはサボったけどな。

 そうすれば、なんとか一日を始められる。

 ルーティンって、そんなものだと僕は思ってます。

 「品質軽視・実績重視」

 それでいいではありませんか。

 だって、「毎日は、毎日やってくる」んだもん。