深煎り珈琲について
1986年は、僕の嗜好を決定づける重要な年だったと思う。僕は17歳だった。
そのひとつがコーヒーだった。
クラス替えがあり、新しい友人が出来た。彼の名をH君としておく。
H君は山とコーヒーが好きな男で、深煎りのコーヒーのよさは彼に教わった。
H君は、ある日宮の森にあった「るびあ」に僕を連れてゆき、躊躇なくフレンチをふたつ注文した。
真っ黒で、強烈な苦味しか感じない。それをブラックでなにかの儀式のように飲んだ。
僕は苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。苦虫、というものを噛んだことはないが、るびあのフレンチの苦さはそれを凌駕していたと確信している。
それから何度もるびあに行き、「これが美味しいのだ。これが本物なのだ」と自分に言い聞かせる修行が続いた。
当時、バブル経済真っ只中の日本は、グルメブームにわいていた。
「こだわり」「本物志向」などの言葉が流行っていた。コーヒー業界では、「炭焼き珈琲」なるものが流行していた(これは多くの人々の誤解を招いた)。
そういえば、るびあの焙煎も「炭焼き」だった。
慣れというものは恐ろしいもので、修行の甲斐があったのか、最初は苦味しか感じなかったフレンチ・コーヒーの奥深くに「甘味」を感じるようになった。こうなったらしめたもので、僕は色々な有名老舗珈琲店の深煎りコーヒーを飲んでまわるようになった。
今思えば僕たちは生意気な高校生だった。「もう普通の喫茶店のコーヒーは飲めないね」などと吹聴したものだ。ごく控えめに言って、ただの糞ガキである。
そんなわけで、今朝も飲んでいるコーヒーは宮越屋珈琲のフレンチである。
H君とは、なにかのすれ違いが原因で口もきかなくなってしまったけれど、「深煎り珈琲入門修行」の入り口に連れていってくれたことを、今でも感謝している。
それは17歳の僕にとって、大人になってゆくことのメタファーそのものだったから。
生まれて初めての彼女が出来たのもこの年だった。
37年間吸い続けた、マルボロを初めて吸ったのもこの年だった。
マルボロといえば・・・。
先日、いつもタバコをカートンで買うコンビニにゆくと、夜勤のK君がいつものようにマルボロのカートンを用意していた。
ああ、タバコを変えてからK君に会うの初めてだもんな。
数年前からマルボロの巻き紙の質が悪くなり、周辺を灰だらけにしてしまうので、あるきっかけからピース・ライトに変えて一週間ほどだった。さらば、マールボロ・カントリー。
「え、タバコ変えたの?」と驚くK君に、頭の中で素早く計算し(54-17=37)、「37年ぶりに変えたんだよ。味がよく似てるし、日本製だし・・・」と言いわけするように言った。
言って、愕然とした。
37年・・・。
僕が子供だった頃、戦争が終わってだいたいそれぐらいだった。
あれからそんなに時間が流れたのか。
あっという間に過ぎ去って、それでいてなかなか終わらない時間。
今、それが終わったのかもしれない。
さらば、うんざりするほど長く続いた薄明の時代。
誰もが終わりを待ち望みながら、延長され引き伸ばされた夕暮れの時代。
マルボロは、なにかの象徴のように僕から去っていった。
今年は、時代が大きくうねるように変わってゆくのではないか。
なんだかそんな気がするのです。