ミッキーマウスについて

 あなたには「こだわり」、ありますか?

 誰にでも多かれ少なかれ、ある種のこだわりはあるんじゃないかと思う。

 若い頃、僕は「こだわり」という言葉にこだわりがあった。若いくせに「言葉おじさん」のようなところがあった僕は、「こだわり」という言葉を聞いたり読んだりするたびに、「信念って言ってくれよなぁ」と思ったものだ(思っただけではなく、口に出して言ってもいた)。

 「こだわり」という言葉は「拘る」「拘泥る」という字を見ればわかるとおり、あまりいい意味じゃないからだ。まあ、今となってはどうでもいい話なんだけど。

 こだわりにも、「いいこだわり」と「悪いこだわり」があるみたいだ。まあ、今日はそんな話です。

 若い頃の僕は、こだわりが強いほうだったと思う。

 たとえば、高校生になってバイクが好きになった時のこと。当時はバイクの売り上げにしてもレースの成績にしても、ホンダが世界ナンバー1だった(今はどうなんだろう)。

 ここからが僕のこだわりなんだけど、どのメーカーを贔屓にするかにあたって「ホンダがナンバー1だから、ヤマハファンになった」のです。

 わかりますか? 僕はナンバー1が嫌いだったのです。昭和のアンチ巨人とまるで一緒。

 「あんだけ強けりゃ、俺なんかが応援しなくたっていいだろう」という気持ちがあった。もっと分析すれば「優等生」が嫌いだったのだ。自分のことを「落ちこぼれ」だと思ってたせいだね。

 これって、さらに分解すると「嫉妬心」から来てるんだよね。

 こういう傾向って他にもあって、「ナショナルより東芝(古いなあ)」、「VHSよりBeta」、「トヨタより日産(今は違います)」、「サザンより尾崎豊(これは比較が間違っていると思う)」などなど。

 このこだわり、「いいこだわり」とは言えないと思う。 だって、ナンバー1に対するお門違いな嫉妬心、つまりマイナスの感情から出てるんだもん。

 幸い、ヤマハ発動機さんは僕と違って落ちこぼれであろうはずがなく、いいバイクをたくさん造ったし、レースでもホンダさんほどじゃないけどまあまあ活躍した。だから、動機はともかく好きになったことは一切後悔してない。

 じゃあ、「いいこだわり」ってどんなんだろう。

 僕が思うに、「冷奴の生姜はおろし金を使って自分ですりおろす」とか「味噌汁の出汁は煮干しと昆布を使ってちゃんと取る」とか「バターは使ってもマーガリンは使わない」とかなら、まあ無害だし誰にも迷惑かけてないし、なによりマイナスの感情が動機じゃないから「いいこだわり」に入るのかなと思う。なんだか食べ物のことばかりですが。

 で、「悪いこだわり」の悪いところなんだけど、経験から言って「運が悪くなりやすい」ところだと思う(まあなんの根拠もないですが)。

 「悪いこだわり」をたくさん持ってた若い頃、僕はとても運がいいとは言えなかったし、色々問題を抱えていたし、充実した生活からはほど遠かった。

 歳を重ねてそういった変なこだわりから解放されるにつれて、だんだんと楽になってきたし、自由度が増したと思う。

 歳を重ねただけじゃなく、仏教的思考が身についたのもよかったと思う。仏教は「こだわり」とは方向が逆だからね。「仏(ほとけ)」の語源は「解ける(ほどける)」から来ていると言うお坊さんもいるぐらいだから。

 そして去年、ヨーガと出会ってますます僕は解けてきた。

 なんと、ミッキーマウスのTシャツを買ったのだ。それどころかその後ミッキーマウスのショルダーバッグまで買って愛用している。

 「はあ? それがどうしたの」と言われそうだけど、これは僕にとっては「革命」であり「コペルニクス的転回」であり「掟破りの逆ラリアット」なのであった。

 あなたはミッキーマウスが好きですか?

 この質問に対して、少し前までの僕は「大っ嫌いです」と答えていたと思う。

 ではなぜ嫌いなのか。それは「宮崎駿が好きだから」です。

 なにかホンダとヤマハの話に似てませんか?

 嫌いになる理由が、嫌われるほうにしてみれば理不尽極まりないという共通点がある。

 やっぱりこれもマイナスの感情から来てるんだなあ。

 これって全然ヨーガじゃないのだ。

 だんだんとヨーガっぽくなっていた僕は、ブックオフでいい色合いのTシャツを見つけて、よく見るとミッキーマウスのTシャツだった。

 僕は「まあいいや」と言ってそれを買った。

 しまむらでデザインも値段も手頃なバッグを手にとってみると、ミッキーマウスがプリントされてる。

 僕はやっぱり「まあいいや」と言ってそれも買う。

 我ながら、自由になったものだと思う。

 去年から今年にかけて、引越しがあったり色々と大変動の時期なんだけど、今のところ運がいいと思う。なにかと恵まれることが多いのです。

 これって、ミッキーマウスのお陰かもとは言わないけれど、変なこだわりを捨てたことと関係がある気がするのです(やっぱり根拠はないけど)。

 まあ、あまりよくない感情は持たないほうがいいですね、一般的に言って。

 じゃあ、話をバイクに戻すと僕はホンダに乗ってたほうが幸せだったんだろうか?

 という話ではなくて、ホンダでもヤマハでもなんでもいいから、好きになるなら素直にこだわりなく好きになるほうが幸せなんだと思う。

 う〜〜ん、やっぱり、「こだわり」ってないほうがいいのかなぁ。

 

 

異言について

 異言、と書いて「いげん」と読みます。

 大多数の人は「なんじゃそりゃ」、と思うんじゃないかな。

 無理もありません。だってこれ、キリスト教用語なんですもん。

 僕がかつてキリスト教徒をやっていたことは、前にも書いた。その時に所属していた教会は、ペンテコステ派聖霊派と言って、この異言を大事にしてる教派だったんだな。

 キリスト教をまったく知らない人のために整理すると、キリスト教カトリック正教会に対して、宗教改革で生まれたプロテスタントがあります。

 プロテスタントにも色々教派があって、聖書を字義通り丸ごと信じているのが福音派(共和党・トランプ支持者で有名ですね)。

 その福音派の中でも、聖霊の働きを重視するのがペンテコステ派聖霊派(長いんで、以下聖霊派で統一します)なわけです。

 聖霊派は、聖霊の働きを重視すると書きましたね。ということは、簡単に言えば他の教派や普通の福音派より霊的だ、と言えるし聖霊派のクリスチャンはそれを自負している人が多い。まあ、カリスマ派なんていうもっと過激な人たちもいるらしいけど。

 ペンテコステ、というのはキリストが復活後に天に挙げられた十日後の出来事のこと。弟子たちみんなが祈ってたら聖霊がどーーーんッと降ってきた。するとみんな口々に知らないはずの異国語を喋り始めた。

 これが異言の始まりね、と言うと厳密な人々はあれは外国語であって異言と違う、と言われそうだけどまあとりあえず。

 僕が初めて異言を聞いたのは、夜の祈り会に初めて参加した時のこと。先輩のクリスチャンたちがみんなこの異言で祈るのよ。ベラベラベラベラ、ちょっとなに言ってるかわからないんだけど、とにかくさまざまな発音が聞こえてくる。

 羨ましかったなあ〜〜〜。うん、憧れました。

 まあ僕もその後、滝に打たれたり火の上を走って渡ったり、艱難辛苦の苦行の末に異言を授かりましたけど(嘘です。キリスト教徒はそんなことしません)。

 異言には人それぞれ個性があって、僕に出るようになった異言は、ニュースでウクライナの人々の言葉を聞いて「似てるなあ」と思ったということから、だいたい想像してください。

 異言で祈ると、なんというか気持ちいいのね。なにも考えなくていいし。聖霊様が臨まれているんだなあ、と思えるし。

 あ、聖霊というのは三位一体(父と子と聖霊)の神のひとつで、立派な神なんですぜ(と、キリスト教では定義されてるのね)。

 お祈り、というのが苦手な僕は(はっきり言ってめんどくさい)礼拝や祈り会では異言でばかり祈ってた。これでちゃんと祈りになってるのかなあ、なんて考えながら。

 僕は3年半ほど教会にいたんだけど、その間おおむね楽しく「異言ライフ」を送っていた、のだが。

 事情はここでは割愛するけど(割愛が好きな男だなあ)、僕はある日突然教会を出奔するわけです。

 抜け忍第二弾、ですね(抜け忍も好きなのかなあ)。

 教会へ行かなくなってしばらくの間、僕は「ああ、これでイエス様と離れたんだなあ。聖霊様もきっとどこかへ行っちゃったに違いない。天のお父様怖いなあ。蛙とかイナゴの大群を差し向けたりしないよなあ」と、わりとボーーっと暮らしてました。

 自分なりの考えがあって教会を出たとはいえ、神から離れるということはそれなりに重い出来事だった。

 やがて独学で仏教を学び始めるまで、そんなふわふわした日々が続いた。

 そして数年後。

 じつはここからが本題なのです。大丈夫、ここまでだらだらと書いてきましたが、本題はすぐに終わります。

 ある朝、目が覚めてなにか喋りたい衝動にかられて声を出してみると、それは異言だったのです。

 おかしいな、教会離れて何年も経ってるしキリスト教の教義だってもう信じてないし、聖霊はとっくに離れてるはずなのに。

 そう思いながら僕は久しぶりに異言でベラベラ喋ってたのね。

 どうも、異言というのはキリスト教会が独り占めしていいものじゃないらしい。

 じゃあ、異言ってなんだろう。と、僕は思ったのであった。と、いうところまでが今回の本題です。

 異言は今でも出ます。時々奥さん相手に異言で喋ってます。相変わらずなに言ってるかわかりません。

 その異言の主を想定して名前をつけちゃったり、「異言マッサージ」と称して異言を喋りながら奥さんの背中をマッサージして、「ああ、気持ちいいわぁ」と有り難がられたりという話は、気が向いたらいつかまた今度。

 

 

絶対積極について

 絶対積極、と書いて「ぜったいせきぎょく」と読む。

 これは日本に初めてヨーガの教えをもたらした、中村天風さんの中心をなす思想だそうです。たかさんのYouTubeで知りました、はい。

 「ええ⁈ 中村天風ってヨーガの人だったの‼︎」と僕は驚いた。

 名前はなんとなく知っている。でも僕の持っていた印象は、新宗教の教祖とか自己啓発創始者とかの、少し胡散臭いものだった。

 今、胸に手をおいて思い返すと、なぜ中村天風の印象が胡散臭かったかというと、僕が胡散臭かったからだ。その名前を初めて聞いた時の僕が、胡散臭かったのだ。

 まあ、今でも胡散臭いじゃないかと言われれば、それまでなんだけど。

 中村天風さんの名前を初めて聞いたのは、1990年のことだったと思う。僕は21歳前後のハナタレ小僧だった。

 これは僕の長い間の恥じであり恥辱であり秘密であり、今思い返しても「慚愧にたえない」ことなんだけど、まあ事実なんだからしょうがない。

 当時の僕は、とあるカルト宗教の信者だったのだ(ああ恥ずかしい)。

 カルトと言ってもオーム真理教じゃないですよ。そこはぎりぎりセーフです。

 でも同世代の出来たてほやほやの宗教で、この間教祖が60代の若さで亡くなった教団です。

 あれ? あれってカルトだったっけ、と思った方もいるかもしれない。

 僕にとってはほとんどすべての宗教はカルトなのです。そして霊能力という便利な言葉を利用して、少しでも嘘をついたら僕の中でバリバリカルト認定です。

 もう本当に恥ずかしいけれど、若気の至りでは済まないけれど、とにかく僕はそこの信者だった。

 そしてバリバリと伝道してたわけです(穴があったら入りたい)。

 で、ある時仕事を通して知り合った年上の女性に伝道した時のこと。僕は熱をこめて教祖の素晴らしさを彼女に説いた。すると彼女は落ち着いた口調で僕にこう言った。

 「中村天風の教えも素晴らしいわよ」

 当時絶賛狂信中の僕は、彼女の言うことは鼻もひっかけなかった。それどころかこう思ったのだ。

 「中村天風? どうせカルト宗教の教祖だろう」嗚呼・・・・・。

 今、僕は心の中で土下座してます。五体投地してます。しかばねのポーズで死んだふりしてます。

 しかしあれだね、人間五十も半ばになると自分の恥じも平気で暴露できるものだね。

 昨日、息子に久しぶりに会ってさ、あいつが言うにはこのブログを彼女に読み聞かせてるんだって。腹抱えて笑ったな、心の中で。絵本じゃないんだから、もう。

 ということは、これも読むんだろうな。

 俺、カルト信者だったってこと、息子にも話してないんだよな。

 まあいいや。

 幸い僕は、その教団をとある事件を起こしてすぐ辞めました。抜け忍第一弾です。いやあ、本当の意味でカルト抜けするのに5・6年はかかったなあ。

 と、いうわけで僕が中村天風に胡散臭い印象を持ってた理由は、僕が胡散臭かったから、が答えでした。納得していただけましたでしょうか。

 あれから33年・・・。

 たかさんのYouTube中村天風さんがヨーガの人だと知った僕は、早速「運命を拓く」を買って読みました。

 素晴らしかった。ヨーガの真髄をわかりやすく日本語に翻訳して、明るく烈しく、武道の達人のように伝えてらっしゃる。

 「絶対積極」とは、なにごとも積極的に受けとめて、感謝と歓喜の人生を活きることです。こう書くとあたりまえに見えて凄味が伝わらないけれど、本当に凄い教えです。ぜひすべての人々に触れてほしいと心から思う、「せきぎょくてき」に。

 だから今僕は、若い頃カルトに引っかかったのは、カルトを学ぶためだったんだな。キリスト教に入信したのは一神教を学ぶためだったんだな。おかげで仏教まで勉強できた。そしてその道のりは、ヨーガへの道だったんだな。少し遠回りだったけど、決して間違ってはいなかったんだな。そういえば、僕が自分で考案した法名は「健風」だった。なんだか天風先生のお弟子さんみたいで嬉しいな。

 と、「絶対積極」的(ぜったいせきぎょくてき)に思っているわけです。

 

ガネーシャ様について

 2005年秋から2009年初夏まで、僕はクリスチャンだった。

 僕がいた教会はペンテコステ派、あるいは聖霊派と呼ばれる霊的にバリバリの武闘派で、聖書を丸ごと信じて疑わないまこと清々しい教会だった。

 と、いうわけで偶像崇拝は御法度、固く固く禁じられていた。

 中には洗礼を受ける前に仏壇・神棚を捨てたとか、いつかチベットに潜入して修行をし、解脱を果たそうとしていた女性が、集めていた高価な密教の法具や神像を泣く泣く捨てた、という話まで聞いた(何を隠そう僕の奥さんである)。

 僕もラピスラズリの勾玉がたくさんついたアクセサリーとThe DoorsのCDを捨てた。

 自分で言うのもなんだけど、僕は熱心と言ってもいいクリスチャンだったと思う。あらゆる偶像と偶像的な存在を退けた。父親が死んで出棺する時も、手を合わせたら父親の遺体が偶像になってしまうからと、合掌もしなければ頭も下げないほどだった(今考えたらひどい話だなあ、まるで宗教的テロリストだ)。

 その頃のキリスト教原理主義者である僕が、今の僕を見たら卒倒するに違いない。

 だって毎朝ガネーシャの神像に「ガネーシャ様〜〜、朝のコーヒーですよ〜〜、召し上が〜〜れ〜〜」とお供えしてるのだから。

 ここでは過去の自分がなぜキリストを信じるに至ったか、そしてなぜかくも熱心だったにもかかわらず、抜け忍よろしく教会を去ったのかは語らない。

 問題は、クリスチャンをやめた後の僕の心情、そして世界観はどうなったのか、ということだ。

 まあ、結論を言えば、元のアニミズム・精霊信仰に戻ったのだ。そう、クリスチャンになる前は「アイヌ最高〜〜インディアン最高〜〜大自然が祭壇だよ〜〜」と呑気に暮らしていたのだ。

 精霊から聖霊へ、そしてまた精霊に還る。なんてね。

 さて、キリスト教の洗脳から解放されるのに、仏教がおおいに役に立った、という話も割愛する。

 でもその後の僕が「仏教が大好きな精霊信仰者」としてわりと平和に過ごしてきたことは確かだ。宗教的には何にも属さず、仏壇も神棚もなく、無神論ではないが具体的な神を持たなかった。

 キリスト教を抜けて僕が辿りついた結論。

 それは「宗教は文化」だ、ということだった。

 宗教はけして真理とはイコールではない。では宗教に存在意義はないのか?

 ある。しかしそれは文化として。

 逆を言えば、「文化は宗教」なのだ。文化になりきっていない宗教は、むしろ危険ですらある。

 宗教は長い時間をかけて人々に世界観を浸透させ、生活に彩りを与え、共同体を安定させてきた。

 まったく宗教を持たない人々と、なんらかの宗教を持つ人々、どちらが幸せだろうか?

 もちろんその答えは人それぞれだろうが、僕は後者のタイプだった。

 でも、文化的と呼べる宗教を僕は持たなかった。

「寂しいなあ〜〜、文化的にぃ〜〜」という心境だったのだ。

 あ、だから「世界ニャーニャー教」を創ったのか。そうか、なんだそうだったのか。

 しかし「世界ニャーニャー教」は残念ながら、文化を育むには圧倒的に時間と人的資源が不足している。まこと残念・無念である。

 さて、そんなこんなで、去年のこと。

 僕は20年ぶりくらいにスープカレー店・マジックスパイスに足しげく通うようになった。マジックスパイス(以下マジスパ)の正面の壁には、ガネーシャの顔の像が、つまり象の像がどぉーーーんと貼りつけられている(はっきり言って、怪しい。かなり怪しい)。店の中は大小さまざまなガネーシャ像があちこちに鎮座ましましている。

 しかし、よくマジスパに行く客としてはそんなものは日常のあたりまえの風景。そのぐらいではガネーシャ信者にはならない。

 そこでまたヨガシャラのたかさんの登場である。

 いつのまにか僕は、たかさんのYouTubeを見ることが習慣になっていた。

 そしてガネーシャ聖誕祭を前に、たかさんはガネーシャガネーシャマントラを紹介する動画をぶつけてきたのだ(内容は割愛するが、大変面白い動画です)。

 ガネーシャ信者になったのは、その時ではなかろうか。

 動画のたかさんに合わせておずおずとガネーシャマントラを唱えた、あの時。

 オーン ガーン ガナパタイェー ナマハ。

 これだ、と思ったね。文化的な宗教としてはこの神様は僕にぴったりじゃないか。

 顔が象だし、可愛いし、怖くないし。

 それでマジスパのように豊かになれるのなら、言うことないじゃないか。

 そう確信した僕は、マジスパガネーシャ像を買い、自分を「世界ニャーニャー教開祖にしてガネーシャ信者」と位置づけたのです。

 今じゃ家中ガネーシャだらけになりつつある。

 どうも、偶像というものは、増殖する傾向にあるらしい。

 それで、ご利益はあるのか?

 う〜〜ん、僕としては「ある」としか言えない。

 だって、なんか楽しいんだよね。

 オーン ガーン ガナパタイェー ナマハ。

 

 

 

 

 

ヨガシャラのたかさんについて

 2020年、僕はスピリチュアルの森の中に入りこんでいた。

 きっかけは、たかのてるこ吉本ばななタッグ、いや、二人の本のリレー・連携プレイだった。

 詳しいことはここでは割愛する。

 しかし、結果的にこの二人の本によって僕はスピリチュアルの森の中に放りこまれていた。

 ずっと避けていたのになあ、また戻って来ちゃったなあ。

 念のために言っておきます。たかのてるこ吉本ばななの本は悪くありません。とても素晴らしい本だと思います。御一読をお勧めします。

 まあとりあえず。なにはともあれ、僕はスピリチュアルの森の中にいた、そしてさまよっていた、ここまではいいですね。

 僕はゲリー・ボーネルやらプリミ恥部やらホ・オポノポノの本を読み出して、ひまがあれば自ら考案した瞑想のようなものを実践し始めた。

 その「瞑想のようなもの」とは、「まぶた瞑想」と名づけたもので、寝転がって目をつむり、ひたすらまぶたの裏を見るという単純極まりないものだった。

 明るい場所でもやりやすいように、セリアでアイマスクまで買ってきた。

 以前から目をつむってしばらくすると、なにやら色や光が見えてくることは知っていた。

 なら、それをとことん見てやろうじゃないか。なぜそう思ったかはわからない。でもなぜかそう思ったのですね。きっとなんでもいいから、何か実践したかったんだと思う。

 その「まぶた瞑想」、慣れてくると色や光の見え方が深まってくる。

 紫・緑・青・紺・赤などの色、それが光となってさまざまな動きをする。そしてディテールがどんどん精緻になってゆく。

 光が消えてゆく寸前、泡が弾けるように光が弾ける。

 「美しい。とても美しい」

 僕は夢中になった。そして思った。「これはいったいなんだろう」と。

 僕はグーグルで検索してみた。たしか「まぶた」「色」「光」「目をつむると見える」などを組み合わせた覚えがある。

 それでわかったこと。同じものを見ている人は世の中にたくさんいるということ。まあこれは予想していた。

 もうひとつわかったこと。それはある種の人々に「丹光」と呼ばれていること。

 「ある種の人々」とは、「スピリチュアルな人々」だ、もちろん。

 スピリチュアルな人々に共通することとして、なんの根拠もなしにまるで既成事実のように物事を語る、というのがある。

 丹光についての記事もおおむねそうだった。だいたい丹光って、いったい何の用語なんだ。

 わからないまま、「まぶた瞑想」は続けていた。

 そしてある日、YouTubeでも同じ検索をすることを思いついた。思ったとおりの人々による思ったとおりの動画の中に、毛色の違う動画がひとつ混じっていた。それがヨガシャラのたかさんとの出会いだった。そしてそれは、ヨーガとの出会いでもあった。

 その動画でたかさんが語っていたのは、瞑想の深まり方によって見える色や光が変わってゆく、ということだった。

 「ヨーガねえ・・・」

 たかさんの動画は、ある種の人々が作る動画と比べると地味で、刺激は薄かった。でも・・・。

 「なんか他より信用できそうじゃね?」そう思った。

 あれから一年半以上が過ぎた。

 まさか自分がヨーガを学ぶために講座を受けることになるなんて、当時は思ってもみなかった。

 こうやって思い返してみると、ヨガシャラのたかさんと出会えたのは「まぶた瞑想」のおかげだったんだなあ。

 いやあ、やっててよかった、「まぶた瞑想」。

 あ、でも真似しないでくださいね。瞑想は、ちゃんとした指導のもとでやらないと危険だという人もいるので。

 まあ、まだなんの指導も受けていない僕が言うことじゃないんだろうけど。

 

サドグルのイシャ・クリヤについて

 サドグルという名前を知ったのは、去年の初冬のある日だった。

 YouTubeにイシャ・クリヤの解説動画が滑り込んできたのだ。

 思い当たるふしはあった。

 その年の春先ごろから、札幌のヨーガ講師、たかさんのYouTubeを見るようになり、その影響で11月初め頃からガヤトリー・マントラを毎日108回唱えたり、パラマハンサ・ヨガナンダ師の「あるヨギの自叙伝」を読んだりしていた。

 この「あるヨギの自叙伝」は、1945年頃にアメリカで出版された本で、現代のバイブルと言っても過言ではないと思う。

 その本を読んで感銘を受けた僕は、「クリヤ・ヨガ」という言葉を検索した。「あるヨギの自叙伝」にキーワードのように繁茂に出てくるクリヤ・ヨガ、その技法を知りたかったのだ。

 しかし、わからなかった。わかったのは、広義のクリヤ・ヨガと、ヨガナンダ師のクリヤ・ヨガがあり、ヨガナンダ師のクリヤ・ヨガは、正規の団体であるSRFの指導を受けなければ知ることが出来ない、言わば秘伝のヨーガだということだった。

 イシャ・クリヤの動画と出会ったのは、そんな煩悶の中にいる頃だった。おそらく、クリヤ・ヨガの検索の影響で、YouTubeがいつものように「こんなんありまっけど、どうでっか〜〜」と滑り込ませたのだろう。

 それはサドグルによる、イシャ・クリヤの解説動画だった。

 その怪しい容貌、は置いておく。問題は中身だった。10分ほどのその動画で、イシャ・クリヤは単純だがとても強力なツールで、ほんの一滴でも真理は真理だとサドグルは語っていた。

 ヨガナンダ師のクリヤ・ヨガとは別物であることは、すぐにわかった。でも僕はイシャ・クリヤのことをたまらなく知りたくなっていた。すぐにチャンネル登録をし、イシャ・クリヤの動画を探した。

 あった。それは音声ガイドによる瞑想のための動画だった。

 ヨーガの真似事を始めていた当時の僕は、ひとつのジレンマに陥っていた。マントラを唱え、自分で「まぶた瞑想」と名づけた瞑想(アイマスクをつけてねっ転がり、ひたすらまぶたの裏を見続けるというかなり怪しい行為)を日課としていても、師匠について指導を受けているわけではない。

 ちゃんとした指導を受けたい。しかし、師はいない。

 このままでは、野狐禅ならぬ「野狐ヨーガ」になってしまうのではないか?

 僕の奥さんもそれを危惧していた。

 僕はなにも考えず、イシャ・クリヤに飛びついた。今年の1月1日から一日2回、48日で1サイクル。これをやり通すことを目標に、まずはやってみることにした。

 YouTube越しだろうが、指導は指導。サドグルのことはなにも知らないが、ここはイシャ・クリヤの先生として従ってみよう。

 途中で引越しを挟んだりした中で、自分でもよくやり通したと思う。1サイクル目は2月17日、無事完了できた。

 それで、その効果はどうだったのか。

 本来のヨーガの目的である霊性を高めるという効果について、あえてここでは言及しません。なぜなら、それは僕の主観でしか語れないし、なかなか言葉に直すのは難しいから。

 まあ勘がよくなった気がする、とか心が澄んできた気がする、とだけ言っておきます。

 でも、思いもかけない誰の目にも明らかな効果があったのだ。

 痩せたのだ。

 それもある日突然、痩せていることに気づいたのだ。

 痩せたかったわけではない。

 僕はべつだん太っているわけではなかったけれど、そこは中年男子、ちゃんとだらしなく贅肉がつくところにはついていた。でも、べつにそれでいいと思っていた。

 それが、無くなっていたのだ。

 食生活が変わったか? ノー。

 激しい運動をしたか? ノー。

 何かサプリメントを摂ったか? ノー。

 サドグルによると、イシャ・クリヤの最中にエネルギーの再編成が起こるという。ひょっとすると、それが身体にも影響したのかもしれない。

 と、いうわけで今3サイクル目をやってます。

 慣れてきて、気持ちがよくなってきて、まるで歯を磨くのと同じ習慣になっちゃいました。

 たぶん、一日やらないと気持ち悪いだろうな。

 今度お世話になる、ヨガシャラのたか先生はイシャ・クリヤのことをなんて言うだろう。

 そんなことも楽しみな、このところの日々なのです。

 

ヨーガについて

 わかっていたのです。

 世界ニャーニャー教にご利益などないことを。

 そりゃ僕だって重々承知していたのです。救いとか、悟りとか、まして解脱など世界ニャーニャー教とは一切無縁だということは。

 でもね、冗談で創ったかのようなこの宗教、三分の一、いや半分ぐらいは本気な気持ちがあるのです、実を言うと。

 世の中に、まるで効かない風邪薬のような、無害で、無毒で、無益な宗教があったっていいじゃないか。少なくとも戦争の原因にはなりようもない、論争の種にもならないような思想があったっていいじゃないか。

 と、こう書きながら朝のコーヒーを飲んでます。美味しいなあ、宮越屋珈琲のフレンチ。もう、コーヒーは宮越屋一択、他のコーヒーは飲まないことにしてる。ゆとりがある時はマンデリンです。高いけど、ものすごく美味しい。

 あ、ドリッパーはコーノ式ね。ハリオなんぞ使いません。

 話を戻すと、世界ニャーニャー教の教義では「救われない」「悟れない」「解脱できん」の3点セットなのね。なにせ、語尾にニャをつけて話すのが唯一の修行なんだから。

 これじゃレクレーションにもならない。

 でも、しかし、僕には夢があるのです。いつか世界ニャーニャー教の道場を創りたいという夢が。

 それって、夢じゃなくて妄想なんじゃないの?

 そういう声が聞こえて来そうです。

 はい、妄想です。妄想で、なにがいけないんでしょうか。だいたい、人類が抱く夢と呼ばれるものの9割は妄想だ!(言い過ぎです)

  で、妄想は続くんだよね、その性質として。

 今は信者数若干一名(僕の奥さん)だけど、道場が出来て「私を弟子にしてください」という人が来たらどうしよう、どう対応したらいいんだ。師匠と弟子でニャーニャー言って、あとはお茶でも沸かせばいいのか。

 まして「ハイヤーセルフの声がうまく聴くことが出来ません。雑音ばかり入ってきます」とか、「覚醒してアセンションを迎えたいのですが、方法を教えてください」とか、「ヴィバッサナー瞑想で菩薩の境地まで来ていると確信しております。如来の境地の扉を開くため、どうか最後の一撃を!」なんて人が来たらどうしよう。

 どうしようもないじゃないか、このままじゃ。

 それでね、ヨーガなの。

 ざっくりひとことで解説すると、「世界ニャーニャー教の中身は、ヨーガだった、というふうに持っていこう」と、こういうわけなの。

 来月からいよいよ先生についてヨーガを学びます。一応インストラクターの必要最低限の資格が取れるそうです。まるで学生に戻ったかのようにわくわくしています。

 でも、大丈夫かなぁ。

 俺、からだ硬いんだよなぁ。