ヨガシャラのたかさんについて
2020年、僕はスピリチュアルの森の中に入りこんでいた。
きっかけは、たかのてるこ・吉本ばななタッグ、いや、二人の本のリレー・連携プレイだった。
詳しいことはここでは割愛する。
しかし、結果的にこの二人の本によって僕はスピリチュアルの森の中に放りこまれていた。
ずっと避けていたのになあ、また戻って来ちゃったなあ。
念のために言っておきます。たかのてるこ・吉本ばななの本は悪くありません。とても素晴らしい本だと思います。御一読をお勧めします。
まあとりあえず。なにはともあれ、僕はスピリチュアルの森の中にいた、そしてさまよっていた、ここまではいいですね。
僕はゲリー・ボーネルやらプリミ恥部やらホ・オポノポノの本を読み出して、ひまがあれば自ら考案した瞑想のようなものを実践し始めた。
その「瞑想のようなもの」とは、「まぶた瞑想」と名づけたもので、寝転がって目をつむり、ひたすらまぶたの裏を見るという単純極まりないものだった。
明るい場所でもやりやすいように、セリアでアイマスクまで買ってきた。
以前から目をつむってしばらくすると、なにやら色や光が見えてくることは知っていた。
なら、それをとことん見てやろうじゃないか。なぜそう思ったかはわからない。でもなぜかそう思ったのですね。きっとなんでもいいから、何か実践したかったんだと思う。
その「まぶた瞑想」、慣れてくると色や光の見え方が深まってくる。
紫・緑・青・紺・赤などの色、それが光となってさまざまな動きをする。そしてディテールがどんどん精緻になってゆく。
光が消えてゆく寸前、泡が弾けるように光が弾ける。
「美しい。とても美しい」
僕は夢中になった。そして思った。「これはいったいなんだろう」と。
僕はグーグルで検索してみた。たしか「まぶた」「色」「光」「目をつむると見える」などを組み合わせた覚えがある。
それでわかったこと。同じものを見ている人は世の中にたくさんいるということ。まあこれは予想していた。
もうひとつわかったこと。それはある種の人々に「丹光」と呼ばれていること。
「ある種の人々」とは、「スピリチュアルな人々」だ、もちろん。
スピリチュアルな人々に共通することとして、なんの根拠もなしにまるで既成事実のように物事を語る、というのがある。
丹光についての記事もおおむねそうだった。だいたい丹光って、いったい何の用語なんだ。
わからないまま、「まぶた瞑想」は続けていた。
そしてある日、YouTubeでも同じ検索をすることを思いついた。思ったとおりの人々による思ったとおりの動画の中に、毛色の違う動画がひとつ混じっていた。それがヨガシャラのたかさんとの出会いだった。そしてそれは、ヨーガとの出会いでもあった。
その動画でたかさんが語っていたのは、瞑想の深まり方によって見える色や光が変わってゆく、ということだった。
「ヨーガねえ・・・」
たかさんの動画は、ある種の人々が作る動画と比べると地味で、刺激は薄かった。でも・・・。
「なんか他より信用できそうじゃね?」そう思った。
あれから一年半以上が過ぎた。
まさか自分がヨーガを学ぶために講座を受けることになるなんて、当時は思ってもみなかった。
こうやって思い返してみると、ヨガシャラのたかさんと出会えたのは「まぶた瞑想」のおかげだったんだなあ。
いやあ、やっててよかった、「まぶた瞑想」。
あ、でも真似しないでくださいね。瞑想は、ちゃんとした指導のもとでやらないと危険だという人もいるので。
まあ、まだなんの指導も受けていない僕が言うことじゃないんだろうけど。