サドグルのイシャ・クリヤについて

 サドグルという名前を知ったのは、去年の初冬のある日だった。

 YouTubeにイシャ・クリヤの解説動画が滑り込んできたのだ。

 思い当たるふしはあった。

 その年の春先ごろから、札幌のヨーガ講師、たかさんのYouTubeを見るようになり、その影響で11月初め頃からガヤトリー・マントラを毎日108回唱えたり、パラマハンサ・ヨガナンダ師の「あるヨギの自叙伝」を読んだりしていた。

 この「あるヨギの自叙伝」は、1945年頃にアメリカで出版された本で、現代のバイブルと言っても過言ではないと思う。

 その本を読んで感銘を受けた僕は、「クリヤ・ヨガ」という言葉を検索した。「あるヨギの自叙伝」にキーワードのように繁茂に出てくるクリヤ・ヨガ、その技法を知りたかったのだ。

 しかし、わからなかった。わかったのは、広義のクリヤ・ヨガと、ヨガナンダ師のクリヤ・ヨガがあり、ヨガナンダ師のクリヤ・ヨガは、正規の団体であるSRFの指導を受けなければ知ることが出来ない、言わば秘伝のヨーガだということだった。

 イシャ・クリヤの動画と出会ったのは、そんな煩悶の中にいる頃だった。おそらく、クリヤ・ヨガの検索の影響で、YouTubeがいつものように「こんなんありまっけど、どうでっか〜〜」と滑り込ませたのだろう。

 それはサドグルによる、イシャ・クリヤの解説動画だった。

 その怪しい容貌、は置いておく。問題は中身だった。10分ほどのその動画で、イシャ・クリヤは単純だがとても強力なツールで、ほんの一滴でも真理は真理だとサドグルは語っていた。

 ヨガナンダ師のクリヤ・ヨガとは別物であることは、すぐにわかった。でも僕はイシャ・クリヤのことをたまらなく知りたくなっていた。すぐにチャンネル登録をし、イシャ・クリヤの動画を探した。

 あった。それは音声ガイドによる瞑想のための動画だった。

 ヨーガの真似事を始めていた当時の僕は、ひとつのジレンマに陥っていた。マントラを唱え、自分で「まぶた瞑想」と名づけた瞑想(アイマスクをつけてねっ転がり、ひたすらまぶたの裏を見続けるというかなり怪しい行為)を日課としていても、師匠について指導を受けているわけではない。

 ちゃんとした指導を受けたい。しかし、師はいない。

 このままでは、野狐禅ならぬ「野狐ヨーガ」になってしまうのではないか?

 僕の奥さんもそれを危惧していた。

 僕はなにも考えず、イシャ・クリヤに飛びついた。今年の1月1日から一日2回、48日で1サイクル。これをやり通すことを目標に、まずはやってみることにした。

 YouTube越しだろうが、指導は指導。サドグルのことはなにも知らないが、ここはイシャ・クリヤの先生として従ってみよう。

 途中で引越しを挟んだりした中で、自分でもよくやり通したと思う。1サイクル目は2月17日、無事完了できた。

 それで、その効果はどうだったのか。

 本来のヨーガの目的である霊性を高めるという効果について、あえてここでは言及しません。なぜなら、それは僕の主観でしか語れないし、なかなか言葉に直すのは難しいから。

 まあ勘がよくなった気がする、とか心が澄んできた気がする、とだけ言っておきます。

 でも、思いもかけない誰の目にも明らかな効果があったのだ。

 痩せたのだ。

 それもある日突然、痩せていることに気づいたのだ。

 痩せたかったわけではない。

 僕はべつだん太っているわけではなかったけれど、そこは中年男子、ちゃんとだらしなく贅肉がつくところにはついていた。でも、べつにそれでいいと思っていた。

 それが、無くなっていたのだ。

 食生活が変わったか? ノー。

 激しい運動をしたか? ノー。

 何かサプリメントを摂ったか? ノー。

 サドグルによると、イシャ・クリヤの最中にエネルギーの再編成が起こるという。ひょっとすると、それが身体にも影響したのかもしれない。

 と、いうわけで今3サイクル目をやってます。

 慣れてきて、気持ちがよくなってきて、まるで歯を磨くのと同じ習慣になっちゃいました。

 たぶん、一日やらないと気持ち悪いだろうな。

 今度お世話になる、ヨガシャラのたか先生はイシャ・クリヤのことをなんて言うだろう。

 そんなことも楽しみな、このところの日々なのです。