ヨーガについて
わかっていたのです。
世界ニャーニャー教にご利益などないことを。
そりゃ僕だって重々承知していたのです。救いとか、悟りとか、まして解脱など世界ニャーニャー教とは一切無縁だということは。
でもね、冗談で創ったかのようなこの宗教、三分の一、いや半分ぐらいは本気な気持ちがあるのです、実を言うと。
世の中に、まるで効かない風邪薬のような、無害で、無毒で、無益な宗教があったっていいじゃないか。少なくとも戦争の原因にはなりようもない、論争の種にもならないような思想があったっていいじゃないか。
と、こう書きながら朝のコーヒーを飲んでます。美味しいなあ、宮越屋珈琲のフレンチ。もう、コーヒーは宮越屋一択、他のコーヒーは飲まないことにしてる。ゆとりがある時はマンデリンです。高いけど、ものすごく美味しい。
あ、ドリッパーはコーノ式ね。ハリオなんぞ使いません。
話を戻すと、世界ニャーニャー教の教義では「救われない」「悟れない」「解脱できん」の3点セットなのね。なにせ、語尾にニャをつけて話すのが唯一の修行なんだから。
これじゃレクレーションにもならない。
でも、しかし、僕には夢があるのです。いつか世界ニャーニャー教の道場を創りたいという夢が。
それって、夢じゃなくて妄想なんじゃないの?
そういう声が聞こえて来そうです。
はい、妄想です。妄想で、なにがいけないんでしょうか。だいたい、人類が抱く夢と呼ばれるものの9割は妄想だ!(言い過ぎです)
で、妄想は続くんだよね、その性質として。
今は信者数若干一名(僕の奥さん)だけど、道場が出来て「私を弟子にしてください」という人が来たらどうしよう、どう対応したらいいんだ。師匠と弟子でニャーニャー言って、あとはお茶でも沸かせばいいのか。
まして「ハイヤーセルフの声がうまく聴くことが出来ません。雑音ばかり入ってきます」とか、「覚醒してアセンションを迎えたいのですが、方法を教えてください」とか、「ヴィバッサナー瞑想で菩薩の境地まで来ていると確信しております。如来の境地の扉を開くため、どうか最後の一撃を!」なんて人が来たらどうしよう。
どうしようもないじゃないか、このままじゃ。
それでね、ヨーガなの。
ざっくりひとことで解説すると、「世界ニャーニャー教の中身は、ヨーガだった、というふうに持っていこう」と、こういうわけなの。
来月からいよいよ先生についてヨーガを学びます。一応インストラクターの必要最低限の資格が取れるそうです。まるで学生に戻ったかのようにわくわくしています。
でも、大丈夫かなぁ。
俺、からだ硬いんだよなぁ。