ルーティンについて

 今年の4月1日から、ツイッターで「ニャーの格言」を始めた。しかも、「一日一本でっちあげる」とぶちあげている。

 自ら退路を絶ったかのように見える。

 しかし、始めた日付けをよく見てほしい。そう、エイプリルフールである。僕はちゃんと保険をかけているのだ。

 白状しておこう。

 僕は卑怯者である。

 さて、それとは別に4月23日からこのブログを始めた。

 この日は一年で最も縁起のよい日、「アクシャヤトリティヤ」なのだそうだ。

 この日始めたことは必ずやり遂げられる、と言われているらしい。

 ほんとかよ、と思わないわけでもない。しかし、イワシの頭も信心から、と言うではないか。

 ブログはべつに毎日書こうとは思っていなかった。でも、格言に引きずられて毎日書いてしまっている。

 これは「奇跡」である。

 とは言っても、格言がたかだか32日、ブログはたった9日だけど。

 まあ、その程度で感心・感動してしまうぐらい僕は三日坊主だったのだ。

 まあいつまで続くかわからないけれど、出来るだけ頑張ってみるつもりです。

 僕にとって「格言」は、もはやルーティンになっている。なにせ「毎日」って書いちゃったもんなぁ。

 そもそも、なぜ格言なんて始めたかというと、もともと格言・名言のたぐいが苦手で(はっきり言えば嫌いで)、意味のない格言のようなものをでっちあげて遊ぶ「無意味格言遊び」が好きだったからだ。

 たとえば・・・、

 「真理とは、一週間は七日あることだ」

 とか、

 「実り多きものは頭を下げ、長靴下のピッピはおさげを下げる」

 とか、

 「昨日の今日は昨日で、明日の明日はあさってだ」

 とか、

 「毎日は、毎日やってくる」

 とかね。はあぁ〜〜、くだらない。

 だから、なんとかなるかなと思っちゃったんだな。

 あと、格言のコツみたいなものがあって、それは「意味ありげなことを、はっきり言い切ってしまう」

 ということ。本当に舐めてますね。

 真理に目覚めて悟ってるわけでもないのに、大変なこと始めちゃったかなぁ。

 まあいいや。

 さて、ルーティンについて。

 毎日続けるにあたって僕が意識していることは、「村上春樹方式」だ。

 村上春樹さんは小説の執筆にあたって「毎日10枚書く」というルールを定めているそうだ。どんなに調子が悪くても10枚書く。逆にどんなに調子がよくても10枚でやめる。これを毎日続けていけば、数年後には大長編小説が出来上がるのだそうだ。

 口で言うのは簡単だけど、なんだか凄いなぁ。

 で、僕も毎日一本格言をでっちあげる、と決めてやってます。

 出来が悪くてもなにか一本書く。出来がよくても(そんなのあったっけ?)一本でやめる。明日のぶんとか明後日のぶんとか書きだめはしない。その日その時にならないと、なにが出てくるかわかりません。

 これは言葉を変えて言うなら「品質軽視・実績重視」である。

 村上春樹さんは、調子の悪い時に書いたものをもちろん書き直すんだけど、僕のは書き直しがきかないんだな、ツイッターだから。

 でも、それでいいと思ってます。村上春樹さんはなんといってもプロの作家で、僕の格言なんてアマチュアの遊びなんだもの。

 ただし、「矜持なき遊びは風に舞うコンビニの袋のようなもの」と言うように(嘘です、誰も言ってません)、遊びといってもほんの少しは真剣さがあるのです。

 それはなぜかというと、僕はこれを自分を励ますためにやっているからです。

 そう、自分で自分を励ますのだ。

 品質はともかく、書けたじゃん、俺。

 とにかく公言は破ってない。偉いぞ、俺。

 まったく役に立たないとしても、なにもやってないわけじゃない。俺ってちゃんと行動してるじゃん。

 などと、自分を鼓舞するよすがにしているのです。

 なんだか目覚めの悪い一日の始まりは、とにかく歯ブラシを口につっこめるかどうかが勝負だと、僕は思ってる。内容はともかく、歯を磨いたぞ。顔も洗ったぞ、髭剃りはサボったけどな。

 そうすれば、なんとか一日を始められる。

 ルーティンって、そんなものだと僕は思ってます。

 「品質軽視・実績重視」

 それでいいではありませんか。

 だって、「毎日は、毎日やってくる」んだもん。